私たちはヤマニシのことを「人間のクズ」と呼んでいたが、私は特にそんな風に呼んではいなかった。呼んでいたのはMさんだ。Mさんは離婚をしている。離婚をすると、人の評価が極端になるのかもしれない。もちろん、そうじゃない人もいるでしょうが。
ヤマニシは昨年の11月の終わりに派遣会社からやってきて、その前の派遣のひとは、2日で辞めていた。そのひとはパンばかりを食べる人だった。パンと言っても、菓子パンの類いではなく、食パンで、6枚切りとか8枚切りとかそういう次元ではなく、0枚切りだった。その、立方体の小麦のかたまりを、彼は、穴をほじくるように食べていた。耳は残していた。しかし一斤の食パンの場合、それは耳と呼ぶべきなのだろうか? 福耳というのがあるが、あれは1次元的に、真下に伸びるだけだ。食パンの場合は切らなければ全方向に伸びるから3次元で、そう言えば切らないパンは、昔のブラウン管のテレビに似ている。しかしテレビは2次元の情報しか映さない。
それで、私たちは一緒にお昼を食べていたが、そこはお昼を食べるのに相応しい場所ではなく、狭いデスクの上に書類だとか、パソコンだとかプリンターとそれらをつなぐ配線があったりして、お弁当箱を広げるスペースを確保するのにも、一苦労する有り様なのだ。これを読んでいるあなたが、もし事務職とかであれば、自分のデスク、自分のPCが確保されているのが当たり前で、例えばそこでお昼を食べたいと思ったときには、PCとかキーボードをよこにずらしたりしてスペースを確保すればいいのだろうが、私たちはそういう仕事ではないのだから、なんとか隙間を見つけて私なんかはプリンターの横の縦長のスペースだから、お弁当箱は縦に並べなければならない。後輩のH・Kくんは、書類置き場の手前だから横長の靴底みたいなお弁当箱、と言った具合だ。しかし、H・Kくんはオニギリを自分で握ってくる場合もあった。
話を食パンに戻すが、そういう場所で彼は(2日しか仕事にこなかったので、彼には名前が無い)食パンを食べ始めたから、異様だった。だから、誰も、他人に対して極端な評価をするMさんにしても、
「なに食べてんの?」
とフランクに聞くことはできなかった。それはもし聞いたとしても、
「食パンです」
としか返ってこないのは明らかだからで、私たちは答えがあまりにも明らかな質問をすると、無知をさらすことになるから、ことに仕事においては、その手の質問には慎重にならざるをえない。そして彼は2日間食パンを食べ、会社を去った。派遣会社の説明によると、
「達成感を得ることができなかった」
というのが理由だった。電話は上司が受けた。電話番号の末4桁は、「3335」で、これは社内のエクセルのパスワードでもあった。
私は達成感とは、食パンのことを指しているのでは? と昼休みに思った。彼は2日かけても、食パンの一斤も食べてなかったからだ。
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