意味をあたえる

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食パン、または私が単純記憶が苦手なことについて

タイトルがああいう感じなのはつながり等があるわけでなく、どっちにしようか決めかねているからである。私はいつもってわけじゃないけれど、タイトルを先に書いてしまうから、そのときはまだ内容に手をつけていないから、そう考えると私は今日の記事の内容はこんな具合ではないか、と見当をつけてタイトルを決めているのである。

昨日仕事の行きにコンビニに寄ってエナジードリンクを買ったら、
「良かったら」
と食パンをもらった。朝の話である。パンは個包装であった。試供品であった。店員のアルバイトのもじゃもじゃした頭をした男が
「どうします?」
みたいな顔をしたから、
「ください」
と言ってもらった。私は昔コンビニでバイトをしていたから彼のきまずさがよくわかる。朝の仕事に向かう人に食パンなんか持たせても荷物になるだけだから邪魔になるだけだ、と邪魔そうにする人がいるからである。しかし食パンなんかまだマシで、私は店員だったころ、客にクジをやらせたらアイスのスーパーカップを朝から当てた人がいて、
「ちょっと待てよ...」
みたいな空気になった。私も迂闊に
「おめでとうございます」
なんて言えない。私の頭がおめでたいと思われるから。もし私が個人商店の店主なら、アイスを魚肉ソーセージに替えてあげたいところだが、大手の店舗というのはそういう融通がきかないところだった。ぜんぜん関係ないがスーパーカップのアイスが初めて登場したときのCMに出ていた女の子が天地がひっくり返るくらいかわいくて、どうにかそのCMを録画しようと昔はどの番組にどのCMが流れるか調べようがなかったから、以前に見た記憶を頼りに、昼間六時間とかビデオを回しっぱなしにして録画したこともあったが、撮れなかった。あとCM専門の雑誌というのもあったが、私は買ったがどこにも出ていなかった。私が初めてスーパーカップを見たのは友達の家の冷凍庫で、そのときは半分くらいの食いかけだった。その友達というのが太っていたからスーパーカップというのは、かなりのボリュームのアイスなんだな、と思った。

一方それから10なんねん経って客の立場となった私。食パンはシキミが毎日食べるし、私の職場には食パンを置くスペースも幸いあるから、そこに置いた。車の中に置くという手段もあるし、今は冬だから悪くならないと思ったが、日光があたったりしたらやっぱりマズいと思い、建物の中に持って行った。それで家に帰って、
「今日パンもらったよー」
と私が言うと、妻が
「もしかして」
と言って、袋を見たら中に同じ銘柄のパンが一斤入っていた。新発売だったから妻が飛びついたのだ。パンばかりあっても仕方ないから、もらってきた方は私が食べた。パンの後に鍋を食べた。

食パンといえば、私が一年以上前にこのブログで「iPhoneでものを書くススメ」という小説を連載していたときに、昼に食パンを一斤食べる男のエピソードがあり、彼はどこかの原住民のような手つきで、中の白いぶぶんをくりぬいて食べていた。私は
「貧しいのかな」
と思ったが、そういうことはついにわからなかった。彼は私の会社に来た派遣の人で、彼は2日来たら、
「達成感がないので辞めます」
と言って、去っていた。辞めるとは、派遣会社のスタッフにそう言ったから、直接聞いたわけではなかった。食パン以外では、無口だったが特に変なところはなかった。もし今も続けていたら、そのパンを彼にあげていたかもしれない。

ところで「iPhoneでものを書くススメ」は途中で私がAndroidに変えてしまったから、未完となってしまった。たしか「悪い男」が登場し、
「どう悪いのか気になります」
とコメントもいただいたのに、彼は出てくるだけで終わった。今思い出すと気の毒なことをしたと思うので、悪い男の特徴をあげておく。

  • 煙草をよく吸って、更衣室が煙草臭くなった。
  • 仕事の手が空くと、「お金はいらないから」と言って帰っていった。
  • 痩せていた。
  • お昼休みはずっと自分の車に閉じこもっていた。
  • 猫を飼っていた。
  • 海パンを履いて仕事に来た(夏だった)。
  • 派遣スタッフがくると、フェンスに寄りかかって話をしていた。スタッフも寄りかかった。
  • 有料チャンネルに登録していた。

(6)iPhoneでモノをかくススメ

なぎ倒されたフェンスの前に、そのあと入ってきたヤマニシは車を停めるようになり、だから、ヤマニシがここに来るようになるころには、フェンスの修理は終わっていた。それは3日か4日で終わる作業だった。私たちは修理する様子を、お昼ご飯を食べながら眺めていた。えんじ色のニッカズボンを履いた、太った男で、彼は太っているくせにお昼を食べることはなく、その分早く作業を終わらせようという魂胆だったらしいが、実際には用意した新しいフェンスの隙間が、元のよりもずっと小さく、そのために違うのを用意しなければならなかったから、作業は早く終わらなかった。白いフェンスだった。

ところでフェンスの向こうはドブ川が流れているということを、前に書いたが、ドブ川のほとりは雑草が生えていて、これは私たちの会社はもちろん、向かいの材木市場の土地でもないのだから、誰も草むしりをしないから、草は伸び放題だった。離婚した人が、
「外に干して衛生管理もなにもない」
と言ったのはこういう理由もあって、つまり春先には胞子や種が飛んで、商品に付着するのである。しかしそんなことは1年に1度くらいしかなかったから、特に対策を講じるとかはなかった。

ところで何故とつぜん雑草のエピソードを挟んだかと言えば、その伸びた雑草の蔓が、フェンスに何本も絡まっていたのである。夏になると雑草はいよいよ背が高くなり、そうなると、誰かが市役所に電話をして、業者が来て草刈りをして行った。いずれも年老いた職人風の男たちで草刈り機を肩から下げ、だからその間はとてもうるさいが、私たちも室内で色んな機械を動かしているから、あまり気にならなかった。そうしてドブ川のほとりは、焼け野原のような、平らな感じを取り戻して行くのだが、しかし、フェンスに絡まった蔓だけは残った。結局はフェンス自体は会社の持ち物だから、草刈り業者は市から派遣されて来ているから、その蔓は会社の雑草という扱いになってしまう。

だから蔓はいつまでも放置されるわけだが、私たちの営業所の所長は細かい男だから、私たちがいつまでも放置していると、やがてその蔓を取り除く姿を見ることができた。

ヤマニシが会社にやってきたのは11月か12月だったので、フェンスの蔓はとっくに取り除かれていて、しかも修理したばしょでもあったから、だからヤマニシは始めて車を停めたときには、もしかしたら「とても綺麗なフェンスだな」と思ったに違いない。あるいは目にも入らなかったかもしれない。

ヤマニシが来る直前には、営業車が2度、車上荒らしに遭うという事件が起き、当然警察が来て現場検証が行われたが、私はそのことには全く気づかなかった。車上荒らしそのものも、朝礼のときに所長の口から聞かされたのであり、朝礼は毎週火曜日の朝8時55分から行われた。朝礼は営業所内で行われていたから、私たちはそこから隣の作業場にいるから、53分には営業所に向かわなければならない。ちなみに朝礼のない日は57分に仕事を始めることになっているから、火曜日だけは4分早く仕事を始めることになる。

朝礼では毎回交代で司会を行う決まりとなっていて、その日は営業の勝浦さんが司会の番で、勝浦さんは40代後半の痩せ型の男で、交通安全の話をした。もうすぐ師走だから、車の量も多いから、営業は気をつけましょう。私たちは営業ではないから、勝浦さんは
「通勤時も気をつけましょう」
と付け加えた。朝礼の司会は、始める前に軽く話をすることになっているが、大抵の人は交通安全の話か、台風が近づいたり、雪が降れば、そういう話ばかりした。所長の話についても同じで、所長の話は最後の社訓の読み上げの前に行われるが、いつも全営業所の交通事故件数の話をした。ここの営業所は成績がとても悪いから、せめて事故だけは起こさないようにしようというのが、狙いだった。しかし車上荒らしの翌週の朝礼では、車上荒らしの話をした。



(5)iPhoneでモノを書くススメ

一斤のパンの人が辞めてから、その後にやってきたのがヤマニシであったが、私はその間にもうひとりくらい、派遣の人が来ていたような気もする。もしそういう人がいたとするなら、その人はおそらくは3日以上は勤めているはずで、そうじゃないとパンの人の記録を下回るから、記憶に残るはずだ。インパクトの薄さで行くなら、2週間か3週間は勤めなければならず、逆に1ヶ月を過ぎれば、派遣期間を満了するから、そういうのも記憶に残るはずなのだ。

 
しかしどうして私はこう、ぐずぐずと、ヤマニシの話を先延ばしにしようとするのか。ヤマニシの前の人など、やはりいない。ヤマニシは紺色の三菱の軽自動車でやってきて、誰が教えたわけでもないのに、一番建物から遠くのフェンス沿いに車を停めた。会社は上空から見た敷地は、大雑把に言うと三角の形をしている。だからヤマニシの車は建物から見ると斜めに停められている。建物、と言うと、まるで私は2階か3階かの窓から見下ろしているようなイメージを与えるが、実際は平屋建てだ。ヤマニシ以外の車は、建物と同じ向きで、つまりヤマニシは駐車スペースでもないところに勝手に停めているのだ。
 
駐車スペースについて、少し補足する。
 
以前私の会社では、車で通勤する従業員は、駐車場の道路側のフェンスに沿って停めていた。先に来た人が1番遠い位置で、それから順番に建物に接近する。だから早く来た人ほど、長い距離を歩かなければならず、そういう意味では早起きなのに得をしないという、不条理な感を私は入社当時抱いたが、逆に遅く来る人は遅刻のリスクがあるから建物に近い、と解釈すれば実に合理的で、やはり利益を最優先する会社組織らしいな、と入社当時の私は感心したのであった。
 
ところが今から1年くらい前に事件が起き、事件とは、私の会社の営業車が車上荒らしに遭うという事件だった。それも2回起きた。私はそんな事件が起きたことは全く知らず、もしそうなら駐車場内にパトカーが来たりして取り調べなども行われただろうが、私は内勤のくせに全く気づかなかった。それは私が窓のない作業場で仕事をしているせいだ。私の仕事は商品の衛生管理で、商品は日に当たると品質が変わるから、という話だったが、実際には水洗いした部品を、早く乾かすために、外に干したりもする。外とは三角形の敷地の、ちょうど斜辺のそばにあたる付近で、フェンスの向こうにはドブがあって、その向こうは木材市場がある。木材市場は全体が幌に覆われていて、中に何があるかはわからないが、木材が積まれているのだろう。たまに大きな音がする。
「ドブ川のそばに商品を干して、衛生管理もなにもないよな」
と誰かが言った。誰かとは、以前にも出てきた離婚した人だった。
 
あるいは、私がパトカーに気づかなかったのは、私自身の性質のせいかもしれず、つまり私は頻繁にぼんやりしている。それを証明するエピソードとして、以前隣の木材市場にやってきたトレーラーが、私の会社のフェンスをなぎ倒すという事件が起きたときに、私だけがその音に気づかなかったのである。それはお昼過ぎの昼休みのときで、私たちは事務所で弁当を食べていた。事務所には窓はある。だから、窓の近くの人は音だけでなくなぎ倒している場面も目にした。窓から遠い人も、大きな音がしてなんだなんだと窓に近づき、そうしたらトレーラーはなに食わぬ感じ切り替えして、道路へ出て行った。そのふてぶてしさにみんなは唖然として、やがてすぐ抗議の電話をしよう、いや隣なんだから怒鳴りこめばいい、などと言いあっている横で私はプリンターの横で、飯を喉に流し込む作業に没頭していた。私は比較的少食にも関わらず、妻は保温機能のついたアルミの容器に飯をぎゅうぎゅうに詰め、おかげで蓋の近くのご飯粒はすり潰され、私はそれを哀れに思いながら、飯を胃の中に押し込んでいたから気づかなかった。
 
 
全文はこちらで

(4)iPhoneでモノを書くススメ

私たちはヤマニシのことを「人間のクズ」と呼んでいたが、私は特にそんな風に呼んではいなかった。呼んでいたのはMさんだ。Mさんは離婚をしている。離婚をすると、人の評価が極端になるのかもしれない。もちろん、そうじゃない人もいるでしょうが。

 
ヤマニシは昨年の11月の終わりに派遣会社からやってきて、その前の派遣のひとは、2日で辞めていた。そのひとはパンばかりを食べる人だった。パンと言っても、菓子パンの類いではなく、食パンで、6枚切りとか8枚切りとかそういう次元ではなく、0枚切りだった。その、立方体の小麦のかたまりを、彼は、穴をほじくるように食べていた。耳は残していた。しかし一斤の食パンの場合、それは耳と呼ぶべきなのだろうか? 福耳というのがあるが、あれは1次元的に、真下に伸びるだけだ。食パンの場合は切らなければ全方向に伸びるから3次元で、そう言えば切らないパンは、昔のブラウン管のテレビに似ている。しかしテレビは2次元の情報しか映さない。
 
それで、私たちは一緒にお昼を食べていたが、そこはお昼を食べるのに相応しい場所ではなく、狭いデスクの上に書類だとか、パソコンだとかプリンターとそれらをつなぐ配線があったりして、お弁当箱を広げるスペースを確保するのにも、一苦労する有り様なのだ。これを読んでいるあなたが、もし事務職とかであれば、自分のデスク、自分のPCが確保されているのが当たり前で、例えばそこでお昼を食べたいと思ったときには、PCとかキーボードをよこにずらしたりしてスペースを確保すればいいのだろうが、私たちはそういう仕事ではないのだから、なんとか隙間を見つけて私なんかはプリンターの横の縦長のスペースだから、お弁当箱は縦に並べなければならない。後輩のH・Kくんは、書類置き場の手前だから横長の靴底みたいなお弁当箱、と言った具合だ。しかし、H・Kくんはオニギリを自分で握ってくる場合もあった。
 
話を食パンに戻すが、そういう場所で彼は(2日しか仕事にこなかったので、彼には名前が無い)食パンを食べ始めたから、異様だった。だから、誰も、他人に対して極端な評価をするMさんにしても、
「なに食べてんの?」
とフランクに聞くことはできなかった。それはもし聞いたとしても、
「食パンです」
としか返ってこないのは明らかだからで、私たちは答えがあまりにも明らかな質問をすると、無知をさらすことになるから、ことに仕事においては、その手の質問には慎重にならざるをえない。そして彼は2日間食パンを食べ、会社を去った。派遣会社の説明によると、
「達成感を得ることができなかった」
というのが理由だった。電話は上司が受けた。電話番号の末4桁は、「3335」で、これは社内のエクセルのパスワードでもあった。
 
私は達成感とは、食パンのことを指しているのでは? と昼休みに思った。彼は2日かけても、食パンの一斤も食べてなかったからだ。
 
 

(3)iPhoneで書くことのススメ

「それで、ひーちゃんの件なんですけど、来週引っ越しちゃうんですよ。だから、来週、ひーちゃんが最後にくるのは金曜なんですけど、水曜日に、お別れ会をやろうってなって。みんなに「お別れ会やろうよ」て言ったら「やりたい」て言ってくれて」

水曜日はお弁当の日である。ネモちゃんは竹ひごで刺してある冷凍食品の、長細い鶏肉が好物で、いつもそれを私の妻にリクエストする。だから、私も毎日会社ではお弁当を食べているのだが、水曜日はその鶏肉が入っている。しかし、私は刺さっている竹ひごが、手に持つと手が汚れるから好きじゃないのである。
「あ、そうなんですか。でも、来月はおしまい、卒園ですよね? それはまた」
「そうなんですー。だから、その日はミニ卒園式ってことにして、ひーちゃんの分の卒園証書を園長先生に作ってもらうんです」
「いいですね」
「それで、教室の中でもアーチを作って、くぐってもらうんですけど、そこの文字の色ぬりを、私が特命係として、5人選びまして、ネモちゃんもその1人なんです。ネモちゃん、がんばろうね」
「なるほど」
 
ところで私は、ひーちゃんと聞いてもそれが誰だかわからなかったが、名前は聞いたことがあり、ネモちゃんと仲のいい子の1人であった。家に帰ると妻に
「ひーちゃん、引っ越すんだって」
と報告すると、妻は部屋の中を掃除機をかけていた。妻は私よりもずっと薄着だった。妻の体調は、実のところ私が幼稚園に行く前からだいぶ良かった。だから、私がわざわざ会社を早退する必要はなかったのだが、ネモちゃんが幼稚園からいなくなる前に、私にはネモちゃんよりも年下の子供はいなかったから、この先もう幼稚園に来ることもないだろうと思い、そう思うとなんとなく行ってみたかったのである。
 
会社を早退するのは、朝礼の後に課長に頼んでさせてもらった。課長はその2ヶ月あとに、係長に降格させられた。部署内には私以外に6人の同僚がいるから、課長の了解を得ると私は一人一人に、
「娘の三者面談に行かなきゃならなくなって」
と理由を話してまわった。私は不意に自分が片親になった気分になって、段々とそうすることが当然のようなごう慢な気持ちになって、派遣のヤマニシにまで
「すみませんが」
と頭を下げた。確かにヤマニシは私よりも歳上の42歳であったが、私たちはヤマニシを「人間のクズ」と呼んでいた。
 
 

iPhoneで文を書くことのススメ2

前回
 

そもそもなんで私がネモちゃんの三者面談に出たのかと言えば、妻が風邪を引いて熱が出たせいで、その前は私が喉が痛かった。本格的に痛くなる前に、私は

「これは痛くなるだろう」
と予想をし、予想をしたのなら対策が立てられそうだったが、うまくいかなかった。
 
家の前の雪かきをする予定だったが、私はそのときから少しだるかったから、部屋に閉じこもって、iPhoneをいじくっていた。すると義父が雪かきを始めたが、義父もあまり熱心にはやらないで、すると私の家の近所の人は熱心にやったから、私の家の前の道だけが雪が残った。ネモちゃんは1人でかまくらを拡張させていた。私の家にはピンク色のソリがあり、ソリを使ってネモちゃんは雪をはこんだ。1人だったので、あまり載せられなかった。それはあまり重いと引っ張れないという理由もあるし、載せるうちにその行為に飽きてしまうという理由もあった。
 
ソリはプラスチック製だった。それから何日かして、かまくらは少しずつ溶けてやがて崩れるが、そのとき中にソリを置きっ放しにしたから、ソリは割れた。
 
「ソリの色は水色です」
と担任が言った。部屋の中はヒーターが点けられていて、居心地が良かった。部屋に入る前は、玄関の広間で待たされたが、そこにはストーブがあったからやはりあたたかかったので、私は入ってすぐにコートを脱いだ。コートは茶色いだった。私は幼稚園にくるまでは、面談と言っても会社の面接とは違うのだから、場合によってはコートを着たまま臨んでもいいと思い、「場合によって」というのは、つまり私はとても寒がりなのだ。だから、先生と言っても20代半ばだし、園長先生とかが同席すればまた話は違ってくるが、そうなると四者面談になるし、まあそんな呼び名とかはどうでもいいが、他のクラスの親が僻むから、やはり園長は来ないから私はコートを脱ぐ必要はなかった。
 
私はコートの下には青いカーディガンを着ていて、このカーディガンは、私が持っている中では1番高価で新しかった。だから、本当のことを言えば、私は先生にこのカーディガンを見てもらいたかったのである。カーディガンの下は、白いシャツを着ていた。カーディガンは、マルイで買った。秋に、マルイに、私は随分と久しぶりに訪れたのだった。それは、本社に行った帰り途だった。大学時代にはよく行った店だったが、だいぶ様子は変わっていた。あるいは、変わったような気がしただけかもしれない。店までは、駅の地下道を通って行けた。地下道を歩く前は地下鉄に乗っていた。
 
「そうですね。水色はやっぱり、男の子の色ですから、最初はあまり。でもネモちゃんが最初に「雪運び遊びをやろう」て声をかけてくれたんです。そうだよね? ネモちゃんは結構いざという時ははっきりものを言うんです。それと、色ぬりの時なんかは、絶対線からはみ出ないんです」
担任はオレンジ色のエプロンをつけていて、その下は灰色のタートルネックだった。オレンジ色は年長組のカラーで、年中が青、年少は黄色と決まっていた。年少組のクラスを受け持つ教諭の中に、1人私の好みの女性がいて、その女性は桐谷美玲に似ていた。いや、実際には似ていなかったが、女優の誰かに似ていた。
 
 

iPhoneで文を書くことのススメ

※私は、タイトルにiPhoneとか入れるとアクセス数が一気に増えそうなので、そういうことを書いてみる。

 
私はもう数年前から小説にしろ、それ以外にしろ、文章の類いは全てiPhoneで書いていて、年々書く量は増えている。最初は下書きとか、メモのつもりだったが、いつからか、メーンになった。そうしたら、少し前にも書いたが、小説家の山下澄人さんという人の小説が私はとても好きでファンなのだが、この人もiPhoneで小説書いているというのをインターネット上のインタビューである日知って、私は嬉しく思ったが、同時にちょっと残念なぶぶんもあった。
 
iPhoneで文章を書くメリットとか、そういうものについては、箇条書きにするのか、このまま文の中で主張していくのかは、今のところ決めていないが、書き始めるまでは、頭の中では箇条書きのイメージであったが、このまま地の文でもいけそうなので、いけるところまで書いて、駄目そうだったら箇条書きに切り替えることにする。
 
iPhoneの良いところは、書きづらいところにある。まずは疲れやすく、とは言っても、iPhoneは軽いからクッションの上にごろんと寝転がったり、ベッドの上でも書けるから、また、ノートPCよりもずっと軽いから、実は疲れにくいかもしれない。私の部屋は座敷なので椅子はなく、PCもちゃぶ台の上に乗っているから、あぐらをかいて画面に向かうことが多く、私は腰があまり良くないこともあって、実は結構しんどいのである。しかし、腰の調子にかんしてはここのところは良い状態だ。喉元過ぎれば熱さを忘れる、という慣用句があるが、良い状態が続くと、まるで何年も前からずっと調子が良かった気がしてくるが、よく考えると、8月の終わりくらいはあまり良くなかった。筋肉痛だ、と自分に言い聞かせて乗り切った。前行ってた接骨院は、院内音楽として、ジブリのオルゴールバージョンのCDをかけていた。ドラクエサウンドドラックもかけていた。いや違う。先生がドラクエ10をやっているよ、という話をしたのだ。先生、というと永久に自分よりも年上な気がしてしまうけれど、実際は違って、ちゃんと確認はしていないけど、この人は年下くさい。あと、一時期私はフットサルをしていたが、そのときの仲間が弟の同級生なのだが小学校の先生で、私はとても不思議な感じがした。しかもその人は当時の志津の担任と同期で顔見知りで、私はいよいよ志津の担任を「先生」なんて呼びたくなくなってきた。そういえばネモちゃんの去年の担任もまだ20代半ばで、そのころ私の会社に来ていた派遣の男の子と同い年て、派遣の男はもう何をやらせてもダメな感じだったから、そういうイメージで三者面談に行ったらとてもハキハキ喋るから、私は椅子から転げ落ちそうになってしまった。これは比喩とか、大げさな言い方ではなく、実際私が腰掛けたのは、普段幼稚園児たちが座る小さな椅子で、足に力を入れないと、すぐにひっくり返ってしまうのである。机もとても低く、私たちはなんだかおままごとをしているようだった。
「なんか、通路が途中、通行止めになっていましたね、被害とか大丈夫でした?」
「もう大変でしたね。夕方から、すごかったじゃないですか?」
「あの日帰れました?」
「あー4時頃出て。なんとか。橋とかすごかったですね」
「じゃあ良かった。僕なんか途中で車乗り捨てました。セブンイレブンの前。でもセブンイレブンそのとき改装中でやってなかったんですよ。とても繁盛してるみたいで。だからそのときは駐車場も封鎖されてて、仕方なく交差点の脇に停めました」
「でも、子供は大喜びでしたよ。ネモちゃんも、ソリでいっぱい滑って。仲良しの、ひーちゃんとふーちゃんがいるんですけど、ソリの上に雪を乗っけて、運ぶの好きなんですよね、子供って」
「家でもそうですよ。かまくら作って。(iPhoneでとった写真を見せる)」
あーすごい」
「こんなに降ったの久しぶりですからねー」
「わたしが子供のころはもうこんなに降らなかったですよ。温暖化で。降ってもこののくらいしか積もらなかったです。その代わり水不足もあんまりなかったですね」
 
水不足、というと、私は自分の家の庭の花壇を思い出してしまう。洗濯機とか、お風呂の水を、花壇にまいたらいいんじゃないかと思ったからだ。しかし実行はされなかった。