意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

離任式

以前「おきのさかな」という記事を書いた者だが、「りにんしき」という言葉も、最初聞いたときはまったくイメージがわかなかった。「にりんしき」とも「みりんしき」とも聞こえる。しかも「二輪式」「味醂式」というほうが、意味としてはイメージしやすい。

ところで、みりんってこういう字を書くんですね。

ところで、話はまったく変わるが、最近Lという百貨店のつくったCMがどうとかというのを、よく目にする。私はテレビをよく見ないので、それがどういうものなのかまったくわからない。いくつかのブログでは動画のリンクが貼られていたが、すでに削除されている。だから、私はどうこう言う材料を持たないので、L、と記号に置き換えることにしました。私は池袋の西武口を出て、左に曲がってチャンスセンターを過ぎ、坂を下ったところにあるLによく行った。豊島公会堂とは逆のほうにあるやつである。坂道は輪切りというか、馬の蹄のような形の穴ぼこが等間隔に並んでいて、きっとそれは、スケボー対策だな、と私は思う。ビルの後ろは西武池袋線が走っている。建物は七階がタワーレコードで、八階がイケベ楽器だった。イケベ楽器は長細いフロアだった。私はそこでシンバルを買ったことがかる。私はそちらへよく行った。しかし、それはLという百貨店でないことに、だんだん気づいてきた。私はその百貨店の名を思い出す前に、この記事を書ききってしまいたい、と思った。なのでお風呂では文章について考えた。昼間「リズムの良い文章を書きたい」というのを読んだ。コメントを見ると「でもそう書いている文章はリズムがいいですよ」と褒められていて、私はいよいよ頭がこんがらがってきた。リズム良く書きたい、という主旨に、リズムが存在するなんて。そもそも、リズムとは音楽とか、音声のための概念だから、リズムの良い文章、と言われたって、抽象の域を出ない。いちばん具体的なのは、「575」で書きなさい、というものでしたが、なるほど、リズムが良いとはそういうことかもしれない。

昨日かおとといに、「表現は怒り」という主張を何かで見て、思い出すことがあった。私は昔ドラムをやっていて、あるとき普段とは違うバンドで演奏することになって、メンバーは全員私よりも年下だった。リハーサルのとき、私はどういうわけかとても不機嫌で、ぶっきらぼうに演奏したら、
「飯村さん、今日調子いいっすね」
と褒められた。私はそこで何かを悟ったはずだったが、それ以来、割とニコニコしながら演奏することのほうが多かった。それから、あるとき先生に、
「ライブでは、練習で言われたことはすべて忘れるように」
と言われたこともあり、また、昔「ようこそ先輩」という番組に出ていたレオナルドダヴィンチの研究家の人が、小学生に鮒の解剖をやらせ、そのあとに、
「鮒の絵をかきましょう」
となって、そのときレオナルドダヴィンチの研究家は、
「解剖のことは一切忘れてください」
と言って書かせ始めた。

そもそも文章には、練習などないのではないか、と思うので、常に本番なので、何も考えずに書くのが良いのではないでしょうか。

少し前の記事で、他人様の記事を引用しながら、その他人様の敬称をつけ忘れてしまった私。そのとき私はもう、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかったが、あのときその記事を書きながら、私は全然別のことを考えていたような気がする。文字をつづるときの脳の働きはどうなっているのか。車を運転しているときに何を考えているのか、というのに似ている。私は車を運転するとき、運転することはあまり考えない。とくに、普段の通勤のときなど、確かにあの交差点を曲がってきたのに、曲がった記憶がまるでない、ということは日常茶飯事で、いつの間にか会社に着いていた、ということもある。でもちゃんと運転をしているから、ドライブレコーダーみたいに、撮った瞬間に、記憶を消去しているのかもしれない。

離任式のとき、先生は、
「先日気がつくと、N小学校への道を走っていて、「いけない、わたしはもうNの先生じゃないんだ」と思い、元の道を引き返しました」
と壇上で言った。先生は深緑の厚ぼったい服を着ていて、まるで他人の口振りで、そんなことを言った。先生は黒い車に乗っていて、車はまだマニュアルトランスミッションのほうが多く、軽自動車はツードアしかなかった。先生は黒いセダンに乗っていて、
「今の時期でも四時半にはライトを点けます」
と話した。「今の時期」とは五月の下旬の、家庭訪問の時期だった。私は先生がいつくるのか、いつくるのか、と待ちわびていたが、予定の時刻はとっくにすぎ、薄暗くなってからようやく来た。
「ウサギが逃げ出してしまい、飼育委員と探していました」
と先生は話した。飼育小屋の裏は竹藪なので、私は竹藪を脳裏に浮かべた。竹やぶの向こうは寺である。

先生は家庭訪問を玄関先で済ませ、次の生徒の家へ行ってしまったので、用意した麦茶もお菓子も、応接間のテーブルに残されたままで、その日はもう夏と言っていいくらいの暑さだったので、窓も少し開けられ、そこから入った風がカーテンを揺らし、風は思いのほか冷たくて、母は夕飯の支度をしながら、私に雨戸を閉めるよう命じた。私が外へ出るとひとりぼっちであり、私は物陰からライオンが出てくるような気がして怖くてたまらなくなり、急いで雨戸を閉めた。