意味をあたえる

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20世紀少年を途中まで見た

ひょんなことからレンタルビデオ店へ赴いた私飯村は、「20世紀少年」のDVDを三枚一気に引き抜き、借りた。邦画のコーナーは五十音順になっていたので、比較的容易に見つけることができた。私はいつだってレンタルビデオ店にくると、途方に暮れてしまう。洋画はジャンル別になっているので、なかなか見つからなくてイライラする。

20世紀少年」は、二枚だと思っていたら三枚だったので、私はびっくりした。しかし構わず借りた。そして、昨日の午後に二枚まで見終わった。私は、原作は以前に読んだことがあったので、内容はだいたい知っている。登場人物が漫画の顔に近づけて出てくるので、懐かしくもあった。私はが原作を読んだのは、おそらく五年以上前である。そのとき私は電車通勤をしていて、電車の中で2冊か3冊ずつ読んだのだ。乗り換えが二回くらいあって、そのときは、読んだ部分に人差し指を挟んで電車を降り、新しい電車に乗ったらその指を引き抜いて続きを読み始めた。乗っていたのは地下鉄だった。

DVDの一枚目を見ているときは、主人公ケンヂの内面世界の話ではないかと思った。ケンヂが出会う人物が、初対面に関わらず皆、示唆に富んだことを喋るからである。私はまるで映画「マイノリティ・リポート」のようだな、と思った。しかし、私はマイノリティ・リポートは見たことがないので、全くのデタラメな比喩なのだが。話があまりにケンヂ中心に進んでいくのは「ともだち」の差し金なのだが、しかしそもそもなんでここまでケンヂに照準を合わせているのかについては、最後まで読んでもわからなかった気がする。そうすると、ケンヂの内面世界、ケンヂの夢でした、というオチのほうがしっくりくる。少なくともこの映画のテーマは記憶である。さっきテレビを見ていたらホリエモンが出ていて、
「自分の子供時代の話をすると、たいてい共感を得られる」
と語っていた。これは、遠い過去は忘れてしまうから、相手の話に合わせやすいという意味かもしれない。私は、自分の小学校時代のメンバーは、同じクラスなら、むしろ中学よりもよく思い出せるが、隣のクラスになるとダメだ。映画には藤井フミヤが出ていて、フミヤは二組のモテモテ男子で、同窓会でも女子(元女子)にちやほやされながら、司会進行を行う。こんなやついたっけかな? と思う。私は、同窓会のシーンがいちばん面白かった。なぜなら、私がこの先同窓会に行くことになったとして、名前がわからなかったら不安で仕方がないからだ。それと、ケンヂは後から会場に入るが、私だったら、室内をぐるりと見回し、知っている顔がない、知っていても話しかけられそうにない、となったらすぐに帰ってしまうだろう。私はそういうストレスに滅法弱いのだ。幸か不幸か、成人してから一度も同窓会に招待されたことはないが。

作者は、結末や話の内容を最初から考えずに書きだしたのではないか、と私は思った。根拠はオッチョがバンコクで行方不明になったが、そのあと日本にやってくるが、ディスクも2枚目になると、新宿では中国マフィアとタイマフィアが抗争をするようになっている。中国マフィアはいいが、タイマフィアは、いくらなんでも語呂が悪い。なんでタイマフィアなのかと言えば、オッチョが行方不明になったのがタイであり、行方不明になった後、オッチョはタイマフィアとつながりを持つのである。そのあと日本にやってきたタイ人はカンナの目を見て、
「似た目をした男を見たことがある」
なんて言うのである。でもやっぱりタイはおかしい。そう考えると、上記のセリフは、オッチョがタイで行方不明、という話を書いてしまったあとに思いついたのではないか。同じように、ともだちの正体も、途中で決めたのではないか。

ディスクの2枚目の途中から、山根君やサダキヨが出てきては死に、て感じでだんだんと退屈になってきた。漫画ではあまり気にならないのに、映画になると引っかかるのが、キャラが力を持ちすぎる、というのがある。例えば、ともだちランドの清掃員は必ずしもヨシツネである必要はなく、「ともだちに親を殺された誰それ」でもいい。むしろその方が話がコンパクトになって良い。あと最初に殺された刑事竜雷太の孫が藤木直人だとか。別に孫にしなくても、ただの若手刑事でもいいのでは? と思う。もちろん祖父の信頼していた部下が実はともだちの手先で、孫も殺されそうになって皮肉だから、孫じゃなきゃダメだとなるのだが、映画になるとそういう張りすぎた伏線が猥雑で鬱陶しい。

それと私が気に入らないのは2枚目の最後にともだちの周りに円卓で側近たちが座るのだが、よく見ると片瀬那奈演じる敷島教授の娘がいることだ。片瀬那奈はピンサロで働いていて、要するに教壇の目的は敷島教授の頭脳で、それを手に入れるために利用したのが片瀬那奈なのだから、敷島教授が死んだ今、片瀬那奈は用済みで、だからピンサロで働かせているのに、いきなり側近に出世しているのはおかしい。おかしいと言えば、そもそもともだちの復活だって、復活自体は別にいいが、死んだときも蘇ったときも覆面のままで、だとしたら、替え玉だと考えるのが普通なのに、各国の要人が揃って誰もそのことを疑わずにやっぱりおかしい。

しかしそれらは、すべてケンヂの夢だとすれば、辻褄が合うのだが。