意味をあたえる

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サミュエル・ベケット「モロイ」

※さきほど記事を更新したが、これは昨日から書きはじめたら、一度下書きにした際にうっかり公開してしまい、そっこーで下書きに戻したが、そういえば以前どこかで読んだが、一度でも公開してしまうと、その記事はその日の記事となり、今日改めて公開しても、今日の記事とはならない。なので、今日は今日で改めて新しい物を書かなければならないが、夕方からでかけるので、「モロイ」を頭から書き写すことにする。携帯も充電がないから、PCで書く。書き写す、というのが、なにかの罰のようで楽しい。

 

 

 ぼくはいま母の部屋にいる。間違いなくこのぼくなのだ。どうやってここへたどりついたのか知らない。たぶん救急車かそれとも何かの車できたのはたしかだ。ひとに助けてもらったのだ。とてもひとりではこられなかっただろう。一週間ごとにやってくるあの男、彼の手助けでここへたどりついたのかもしれない。彼はそうじゃないといっている。彼はなにがしかの金をくれて、記録を取りあげていく。記録が多ければ、それだけ金額も多い。なるほど、ぼくはいま働いている、昔ちょっとしたみたいに、ただしぼくはもう働きかたを知らないのだ。そんなことはもうたいしたことではないように思える。いましたいことといえば、残されたことを話し、別れの挨拶をすませて、死をまっとうすることだ。彼らはそうするのを望んでいない。そうだ、彼らは一人ではない、どうもそのようだ。だがやってくるのはいつも同じ男だ。そんなことはあとにしろ、と彼はいう。ああいいとも。実をいえば、ぼくにはもうたいして意志がないのだ。新しい記録を取りにくるとき、彼は前の週の記録を返してくれる。それにはなんだかわけのわからぬ記(しるし)がついている。いずれにせよぼくは読み返したりしない。何もしないでいると、彼は何もくれない、ぼくを叱りつける。そんなこといったって、ぼくは金のために記録をつけているのではない。じゃなんのために? わからない。ほんとのこといって、ぼくはたいして知らない。たとえば、母の死のこと。ぼくがついたとき母はもう死んでいたのか? それとも、そのあとでやっと死んだのか? という意味は死んで埋葬されていたかどうかだ。わからない。たぶんまだ埋葬されていなかったのだろう。いずれにせよ、ぼくは母の部屋にいる。母のベッドで寝ている。母の便器で用をたしている。ぼくは母の場所を手に入れた。だんだん母に似ていくにちがいない。あとはもう息子が足りないだけだ。どこかにぼくの息子がいるのかもしれない。だがぼくはそう信じない。もしいたら相当の年で、ほとんどぼくと同年輩だろう。あいつは若い女中だった。ほんとの愛ではなかった。ほんとの愛はほかの女あいてのことだ。いずれその話もしよう。ところがぼくはまた彼女の名前を忘れてしまった。ときどき、息子のことは前から知っていて、面倒をみてやったような気になることがある。そのあと、そんなことは不可能だと思いなおす。ぼくがだれかの面倒をみるなんてことはありえないのだ。字の綴り方だって忘れたし、言葉も半ば忘れてしまった。だがそんなことはたいしたことじゃないだろう。そうだとも、ぼくに会いにくる男は、変な野郎だ。どうやら日曜日ごとにやってくるらしい。ほかの日は暇がないのだ。いつも喉をからしている。あの男が言った。ぼくは出発をまちがえた、もっとちがったスタートを切るべきだった、と。そうかもしれない。ぼくはこういうはじめ方をはじめてしまった、なんていったらいいか、まるで老いぼれのまぬけ者みたいに。これがぼくなりのはじめ方なのだ。それでも彼らはともかくこの記録を残そうとしているようだ。ぼくはずいぶんと苦しい思いをした。これがそうなのだ。こいつのためにぼくはひどく苦しめられた。ともかくこうしてはじまったのだ。ところがいまはもうほとんど終わりに近い。いまぼくがしていることは、前よりもよくなったろうか? わからない。問題はそんなところにはないのだ。これはぼくなりのはじめ方なのだ。彼らが保存しようとしているのを見ると、これにもなんらかの意味があるにちがいない。ここにあるのがそれだ。

 

集英社 カッコの読みがなは引用者)

 

腕よりも先に腰が疲れた。私は腰を痛めている。いろいろ調べたら、私の腰が反ってしまっているようで、壁に背中をつけると、腰の部分に手のひらが入る。仰向けで寝ると、その間も腰の筋肉が緊張して、朝になると痛い。朝が一番痛い。顔を洗うときや、靴下を履くときに気をつけないと、その日いちにちが台無しになる。顔を洗う時は、前は洗面台の向きが違っていて、そのときに思い切り腰をやった。前は入り口に対して横を向いていて、台の前にはすぐ洗濯機があって、要するに台の前に回り込むことができない。なんでそんな向きに置くのかといえば、こちらに向けると窓が塞がるからだ。家の設計のときに、そういうことを考えなかったのか、甚だ疑問だが、この家が建てられた時はバブルのまっただ中で、大工はみんな忙しくて金持ちで、偉そうだったから、言えなかったのだ。その当時を知る大工が、

「あのころは笑いが止まらなかった」

と言っていた。

「あのころを知っていると、今なんかバカらしくてできない」

とも言っていた。今、といってもその時はもう今から10年前だから、今は今でもまた違うのかもしれないが、一緒だろう。