意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

妹桃太郎

この前紙さんが、保坂和志のインタビューを引用されていて、これは私も買わねばと思い買った。雑誌を買うのは結構久しぶりだ。買ったらもう私の所有物なので、私は安心していい加減に読んだ。もちろんぜんぶは読んでいない。昔コロコロだかジャンプだか、そういう雑誌で連載されている漫画をぜんぶ読んでいる、と言ったらすげー驚かれた。私の方こそ驚いた。私は、もちろん雑誌を頭から読むわけではなく、好きな話、気になる話から読むわけだが、絵がきったなくて、まったく読む気が起きないような話でも、例えば夕飯が終わってお風呂に入るまでの間に、ぱらぱらと読んでしまうのである。昔は、つまらない話を読んだら時間の無駄、人生の無駄、という発想はなかった。時間がいくらでもあるように感じたのは、残り時間がまだまだたくさんあったからか。

そえいえば、今書いているのも夕飯とお風呂の間の時間だ。私は
「お風呂はいって!」
と言われないように、気配を消してこっそり書いている。

そういえば、私はかなり幼い頃から自分をメタ化するというか、人生がすすすと通り過ぎてしまわないように、ふと気づいたときに、
「今は何歳の○月△日である」
と自分で確認するようにしていた。なぜこんなことをしたのだろう。それはたぶん、何かに夢中になってしまうとあっという間に時間が流れ、すぐに臨終を迎えてしまうことを、恐れていたからだと思う。だから、例えばゲームやスポーツに夢中になっていなくても、ただ生きているだけで私たちは自分の人生に夢中になっている状態なわけだから、たまにはそういう自分を突き放して、自分が今人生の中のどの辺に位置しているのかを、確認したかったのだ。その確認中私は時間の外にいて、従って時間も止まっており、だからそのぶん長生きできるとほくそ笑んでいたのだ。

人間は「長生きしたい人間と長生きしたくない人間」の二つに分けられ、小学校のときに、
「俺は30歳になる前に死ぬ」
と言っているやつがいて、私は心の中で
「冗談じゃない」
と否定した。30になる前に死にたいだなんて、ずいぶん奇特な人だな、と思っていたが、あるとき「ちびまる子ちゃん」を読んでいたらそのときはノストラダムスの話で、ノストラダムスの予言で人類が滅亡するとき、まる子たちは30過ぎの年齢になっていて、するとクラスの誰かが、
「そんなに生きていたって仕方ないよ」
と言い出しまる子もそれに同調する。するとブー太郎が、
「30過ぎって言ったら、結婚して子供もいて、一番いいときじゃないか!」
と憤慨するのである。私は、結婚や子供はともかく、ブー太郎と同じ意見であった。

あと同じちびまる子ちゃんの別の話でまる子が飛行機に乗りたくないと言ったら父親が、
「みんなで行ってみんな一緒に死ぬのと、自分だけ生き残るのと、どちらがいい?」
と質問をして、主人公を困らせるのだが、まったく同じ質問を私の親もしていたから驚いた。そのときは妹がとにかく飛行機になんて乗りたくない、と言っているときで、妹はまだ幼く、背もちっこかった。今でも小さい。小さいくせに幼稚園のお遊戯会では桃太郎を演じた。桃太郎は全部で5人いて、妹以外は男で、妹は桃太郎Eといった感じだった。ちなみに私は大きな株のおじいさんをやったことがありおじいさんは3人いて、私は一番体が大きかったから、おじいさんCだった。世の中はいい塩梅の人が、得をするようにできている。とにかく桃太郎の妹は、飛行機なんか絶対に乗りたくないと言ったら、父が、上記の質問をした。私の家は貧乏で飛行機なんて夢のまた夢だから、そういう質問するのは滑稽だった。しかし、夢だから質問も余興みたいで楽しかったのかもしれない。今では妹は独身なので、じゃんじゃん飛行機に乗っている。


※小説「余生」第29話を公開しました。