意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

座椅子あらそい

まずは昨日の続きから入るが、私の家には父専用の座椅子というのがあって、父はそこに座る。しかし私たちの父は仕事が忙しくて泊まり仕事もある仕事なので平日も帰りが遅いために、座椅子が空席になることが多かった。父は自分の父権の象徴としてわが家の居間に座椅子を置いたのかもしれない。父がいないとき、私たち兄弟は誰がそこに座るのか争ってばかりいたが、もしかしたら私たちはそういう父権というものにすがりたかったのかもしれない。しかし私たちは背もたれに体を預けるのが楽だし、気持ちいいから争っていたのであった。

妹のアイディアか、あるいは私のアイディアか忘れたが、あるときから「席をキープする」というルールが産まれた。それまで座っていた兄弟が一時的に席を離れるばあい、座椅子の座のぶぶんにその人の私物を置いておけば、その間他の人は座ることができなかった。大抵座の上に置かれるのはぬいぐるみてかだったが、ときにはゴミみたいなもので無理やりキープされることもあった。そういう場合、当人以外からしたらゴミなのだから勝手に捨てて次の人が座るのだが、そこから戻ってきたゴミの持ち主とトラブルになることもあった。あるいはそれを逆手に取って
「さっきまで俺のゴミが置いてあったはずだ。どきなさい」
と架空のゴミを利用して自分の占有権を主張する事件も起きた。ゴミはゴミだった。

やはりそういうマメなことに関しては妹がうまく、私なんかは年長者でありながら、ついうっかり何の対策も講じずに席を離れることもあって席を奪われるが、妹はそういうのがなかったと思う。あと書いていて不思議だったが、みんな律儀にこのルールを守った。しかし妹が自分のリカちゃん人形に留守を守らせたまま友達の家に遊びに行ったりすると、さすがに理不尽なので、あるとき私は席のキープのルールを撤廃することに決めた。私は年長者だったから、自分の思いつきでルールを変えることができた。それでも兄弟は反対したり、不平を言うかと思ったが、みんな私の提案を受け入れた。

それと私は子供のころは病弱だったので、喘息の発作が起きたときは、父であっても座椅子を譲ってくれるときもあった。私は発作が起きると座っていることも難儀になり、そういうときは座椅子をテーブルにぴったりくっつけて、背もたれに寄りかかったまた食事を口に運んだ。あまり食べられなかったが、少しでも咀嚼すれば周りは安心するので、少しは食べてやった。

あるとき実家の片付けをしていたら、私が病み上がりで出かけたときの写真があり、なぜ病み上がりなのかと言えば、顔に全くの生気がなかったからである。私の体調が悪くなる手前、あるいは快復に向かった頃、母はよく私に
「目が引っ込んでいる」
と言い、私に無理をしないよう注意した。私は子供心に目が引っ込むなんて、そんなことがあるわけないから、これは一種の比喩だろうと思っていたが、写真を見ると確かに目が引っ込んでいる。頬が垂れ下がり、ブルーシートの上であぐらと正座の間のような脱力した様子で座って頭を垂れ、私はそのとき西武ライオンズの帽子をかぶって肩からは水筒を下げていたが、おじいさんのようだった。それは父の写した写真で、父は白黒専門だったので、なおさら私の生気のなさは強調された。