意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

石にしがみつく読書

この前目(アンコロ)さんの記事でヘーゲルの「歴史哲学講義」が紹介されていて、その紹介が
「あらゆる人の思考パターンが書かれている」
という旨のことが書かれていて、なんか文字にするともっと違う風に書かれていた気がしてくるが、私は「凄腕ナンパ師が教える女性の心理学」的な本だと認識し、私は購入することにした。しかしこれでは目さんの名誉を傷つけてしまうかもしれないので補足すると、とある凄腕営業マンが、インタビュアーに「営業に役立つ本は?」と訊かれて、この本を挙げたらしい。理由が上記の「あらゆる思考が~」だった。私はナンパも営業も大差ないと言いたいわけではない。目さんは、とても仕事熱心な方なのだった。

そうして読んでみたら、めっちゃ難しくて焦った。私はこういう難しい本を読むといつも不思議なのだが、例えば日本語で書かれた本なら、その単語自体は意味がわかる。もしくは辞書などを引けばもっと易しい言い回しに置き換えて、最終的には「わかる」に落ち着くのに、それが連続した文章になると「わからない」になるのはなぜだろう。わかっていても、他人から「全然わかってないね」と指摘されたりする。最終的には「わかる」に落ち着くのに、その前に飽きて投げ出してしまうだけなのだろうか。

私は、難しい本を読むと眠くて仕方なくなる。易しい本でも眠くなるときがある。漫画だとまずない。私は活字が苦手なのだ。過去眠さマックスだった本は、去年読んだ「モロイ」だった。ひどいときは一行読んだだけで、もう起きていられなくなる。おまけにその本は細かい文字の二段構成だったから、いつまでたっても同じページにしおりが挟まれている。しおり、といってもセブンイレブンとかのレシートを栞がわりにつかったが、印刷が途中で消えてただの白い紙切れになった。「モロイ」は残り数ページというところまできても、いっこうに終わらないのでとてもイライラした。

例えばその類の本を読んで、読み終わった瞬間に何かしらの達成感があれば、私はあるいは報われるのかもしれないが、読書の終わりとは実にあっさりさっぱりしていて、そういえば私には感慨とかあんまりない。ここ最近読んだ本、というか今まで読んだ小説でラストを覚えているものなんて、ほとんどない。ぱっと出るのは「ノルウェイの森」くらいか。最後に電話をかけていた。それ以外だと、「うるわしき日々」は、保坂さんならこう終わらせる、的な終わりだったから残った。

子供の頃に最初に読んだ小説というのがあって、小説の定義がなに? という問題がこの場合発生するが、ここでは「一回では読み切れない話」とする。それで、小学1年か2年だった私は当時栞という発想がなかったので、表紙の裏の空白に、日付と何ページの何行目、というメモをした。一回二回で読み切れる長さではなかったので、メモは何行も増え、おそらく書ききれないくらいになった気がする。当時は字も下手くそで大きかったから。

そんな風な読み方で、内容をおぼえているのかと言われれば、割とおぼえているものである、と言いたいところだが、長い間「「栞メモ」をやったのはあの本だな」と思っていた本を、大人になって開いたら、なんにも書いてなかった! 別の本か、そんなのはそもそも夢だったのである。


※小説「余生」先週分(第51から55話をまとめました)
余生(51) - (55) - 意味を喪う