意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

坂(あるいはメタファーとしての、坂)

初めて私の文章に触れる人に向けて書く。

中学の頃、私の家のすぐそばの坂はここらでいちばん勾配が急で、もちろん坂は私が生まれる前からあった。我が家は坂の上側にあった。

その坂は細い道であり砂利であり、左右は竹藪と雑木林になっていて、昼間でも薄暗い。もとは坂でなかったところに道を通したのか、木の根っこがむき出しになっている。私の母などは子供の私に向かって、
「これは地震でむき出しになったのですよ」
とその理由について教えてくれたが、東京出身の母がそんなことを知っているはずがない。私が子供だと思って見くびっているのだ。薄暗いと書いたが細い道なので車が通ることはまずなく、そのため母子の格好の散歩道だったのである。脇の竹藪にはキジが住んでいて、近所の友達はキジを見たことがあると言った。私はなかったが、どこかの土手の上の道でキジが横切るのを見たことがある。キジは飛び立つことはなく、走って私たちの眼前を横切った。

坂を下ると、すぐに運動場があった。私たちはそこを「グラウンド」と呼んだ。グラウンドでは、日曜になると地元の野球チームが野球の練習をしていた。大人たちが着崩すことなくユニフォームをきっちり身につけ、それぞれの守備位置についた。水色、あるいは灰色の寝ぼけた色のユニフォームであった。そのメンバーの中には叔父もいた。

グラウンドでは、夏休みになると、小学4から6年生がチームをつくり、字ごとにトーナメントで闘った。男は野球で、女はソフトボールだった。毎朝6時半から練習があった。私は野球なんてやったことがなかったから憂鬱だったが、しかしお母さんたちの作ってくる麦茶とかハチミツ入りレモンだとか、そういうのはおいしかった。たくさん汗をかくのが気持ちよかった。私は一度は上級生からライト前ヒットを打ったことがあり、私は自分で
「才能アリ」
と思っていたが、周りはそんな風に思っていなかったようだ。6年生になるとレギュラーにはなれたが、1回か2回打席がまわるとすぐに替えられた。決勝では盗塁に失敗したら即替えられた。監督としても、わかりやすいミスがあったから、強気に出れたのだ。私はみんなが肩をぐるぐる回すから、それに従っただけだ。結局チームは優勝し、私は大してそれに貢献できなかったが、上級生なので、記念撮影では盾を持たせてもらえた。カメラマンが、
「帽子をかぶっていると顔が暗くなる。つばをもっと上にあげて」
と言うので従ったら、私の白い顔がやたらと強調された。私に対しての指示ではなかったのである。私は夏の野球大会は全員強制参加かと思っていたらそうではなく、いない人もちらほらいたから、
「ずるいな」
と思った。いつまで開催されていたのだろうか。今ではグラウンドも半分つぶされて草ぼうぼうとなり、コーチだった人は市会議員だったが、私が成人する前に肝臓を悪くして死んだ。

それでグラウンドの入口のすぐ近くにはコカ・コーラの赤い自販機があり、その横が暗くて急な坂道の入り口だった。私は夏休みは毎朝そこを上り下りして野球の練習に参加したのであった。

中学になり私はテニス部に入り、そうしたら同じ部活の子があるとき私の家に来ることになったので、その子は別の地区の別の小学の人だったから、私の家に来るまでにすでに自転車でそれなりの距離の場所まで来ていたが、私はひとつ彼を驚かせてやろうと思い、例の坂道を登り始めた。私は小学6年頃になると、自転車でもなんとか降りずに坂を登ることができるようになっていた。私は友達に
「ちょっときつい坂に招待するよ」
と言い、勢いよくペダルをこぎ始めた。坂のかなり手前であり、まだそこは日当たりの良い舗装された道だった。助走をつけないと登りきれないのである。

私や後続の彼の自転車は、小石をそこらじゅうに蹴散らしながら坂を登りきった。坂を上るまでは夕方のような風景だったが、上りきると青空が広がっていた。私は手のひらと脇の下に汗をかき、爽やかな気持ちになった。友達もあとから来た。私はどうだい、この坂は? と感想を求めると友達は、
「悪いけど弓岡、俺んちの周りにはこれくらいの坂はいくらでもあるし、もっとキツい坂もあるよ」
と言うので私は傷ついた。「悪いけど」のぶぶんに悪意を感じた。

ここまでが今日の話の前置きなのだが、この前叔父と話をする機会があったので話をしたら、叔父の息子、つまり私の従兄弟が仕事を辞めたと聞いた。従兄弟は就職先が見つからず一年浪人してようやく仕事にありついたが、一年たたずに辞めてしまった。もちろん私はだらしのないやつだ、とかもったいない、とは思わなかったが理由を訊ねてみると、絵に描いたようなブラック企業で、やはり若い人はものを知らないから、搾取されてしまうんだな、と私は感想を持った。というか想像以上で、今までに聞いたことのないくらいの酷い労働環境で、私は愉快な気持ちにすらなった。実際笑ってしまった。

なので一瞬その旨をブログに書いてやろう、これで一日ぶん得したぞ、と思ったが、もし書いたら
「悪いけど自分が勤めた企業のほうがキツかった」
とか思われそうだから、止めにすることにした。いったん止めにすると決めると、「想像以上」「今までに聞いたことのない」など、好き勝手に書けてしまうものである。