意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「老後の不安」は経済的不安しか指していない

少し前に「話を盛る」にことについての議論を見かけ、盛ることに対しての否定的な意見として、盛ることはすなわち嘘をつくことであるからよくないというのがあった。そこまでは良かったが、
「嘘ばかりつく人は、老後に偽の記憶しか残らなくて困りそう」
という意見があって、私は「老後」というワードは思考停止ワードだな、と思った。

よく
「こんなことをするのは日本だけ」
という言い回しを目にするが、「老後」も同じ類の言葉になりつつある。「日本だけ」「日本以外」という言葉は、もちろん世界情勢に詳しい、あるいは海外に頻繁に行く人が使うのだろうが、私は日本でしか暮らしたことがないので、実際はそうでない人が使ったとしても、真偽の確かめようがない。だから、その議論に紳士的、フェアに参加しようとするともうそれ以上は何も言えないのである。相手もそれはわかっていて、つまり自分の理屈を通すためのテクニックとして「日本以外」を出すのである。

そもそも何の補足もなくただ
「こんなことは日本だけ」
と言われるのは、子供の
スマホは私以外クラスのみんなが持っている」
と言う場合の「みんな」と同じである。「みんなって誰だよ?」と聞き返したくなるが、そういうやり取りも通り一遍で馬鹿らしいからしなかったが、(したかも)やはり「みんな」は「全員」ではなかった。「みんな」という語句の恣意性について考えるのは面白そう。

そういう「みんなクラスタ」に「老後」も入るのではないか、というのがここでの私の主張でした。最初の「老後は偽の記憶にまみれて」という発言についても、おそらくそれは発言者の老後、たぶん40年とか先の未来の話であり、少なくとも議論の相手になっていた人は40年後には行ったことがないので、なんでも好きなことを言えちゃうのである。

ところで話はがらりと変わるが、世間の言う「老後の不安」がほぼすべて経済的な不安を指すことに気づいた。同時にそれが洗脳であることも見抜いた。その根拠は今現在の不安は何? と自問したときに、それは必ずしも経済的な不安が第一位にならないからである。私の現在の不安一位は子供が死ぬかもしれない不安で、第二位は自分自身の健康である。これらの不安対策として、私はなるべく子供の短所を探すようにする(一位対策)、早寝早起きを心がけ、定期的に運動をする(二位対策)を行っている。短所を探すのは、良い子ほど早く召されるみたいな迷信にすがっているからである。そういう風に冷静になってみると、経済的不安は一にも二にも手を打たなければならない不安ではなく、それなのに外で聞く不安が経済に限られるのは、そこにお金が発生するからであろう。