意味をあたえる

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字のうまい人が「うまくないよ」と言う現象

私はその生涯において、ときたま
「字がうまいね」
とほめられることがあるが、今日の午前中、新しい仕事をやるにあたって原本のエクセルファイルの場所などをメモしたら、私がメモをとるなんて極めて珍しいことだが、その字は下手くそであった。字自体書くのがひさしぶりなせいもあるし、字をちんたら書く余裕もなかったのである。字が上手い人というか、達人の域じゃないかというくらい上手い人が過去にいたが、その人は急いで書いても達人級だった。しかも急いで書いた感じも伝わってくるくせに、字はきれいなので、だまし絵を見せられているような気分になる。しかしその人は仕事そのものはぱっとせず、特に優先順位とか段取りが全くダメで、おかずに例えるなら必ず好きな食べ物からとりかかるような人だった。兄弟の多い家庭だったのかしら。しかし実際は弟がひとりいるだけで、その人は姉で、弟はかなりの三国志マニアで、なんとか版の三国志を図書室から借りパクしたらしい。借りパクといえば、昔学校のそばの公民館にも図書室があって好きな本がかりられたが、図書室は学校にもあったので、私は低学年の頃に一度利用しただけで放っておいたが、五年生になったら電話がかかってきてその電話は母がとって、
「おたくの息子さんが、まだ本を返していませんよ」
と電話は言った。母は電話で込み入った話になるとその場にしゃがんで電話をする癖があり、電話は食器棚の上の段と下の段のつなぎのスペースに設置されていて、母は主に来客用のカップとかカレー皿の置いてある下の段の前でしゃがんだ。しゃがむと、メモを取るのにも便利だった。母の字はきれいでも汚くもなかった。

それで、母に電話の旨を伝えられ、私はそれは何かの間違いだと釈明した。私は小学校一年か二年のときに、カブトムシの本を一度だけ借りただけで、その後は図書室そのものに近づくこともなかった。母が言った本はぜんぜん別のものだったが、念のため、母は子供用の本棚を捜索した。子供用の本棚は家の南側の廊下に置いてあり、すぐそばが掃き出し用の大きな窓があるので本はすぐに変色した。木の本棚も乾ききり、側面がべりべりと剥がれ、子供ははがれるものが大好きだから、どんどん剥がした。そこに子供の頃に買い与えられた絵本とか、あと私が購読していた「てれびくん」の古いものが置かれた。絵本の中には中国語版の西遊記もあった。

「てれびくん」はその名の通り、テレビ番組を取り扱う雑誌であった。そこには当時大人気だったドラゴンボールの特集もくまれており、それは天下一武道会で誰が優勝するのかという特集で、一番人気はジャッキーチュンという老人であった。「てれびくん」の編集部は「ジャッキーチュンの正体は亀仙人かもしれない」と予想しており、確かに言われてみると、背格好も似ている。早速次の日か次の次の日あたりに、近所に住むノブちゃんという私より四歳か五歳上の地元の人が、
「ジャッキーの正体は亀仙人に決まってる」
と言うから、
「「決まってる」じゃなくて、「かもしれない」だよ、まだ決まったわけじゃない」
と私が正面から否定すると、
「馬鹿じゃねーの?」
と言われたノブちゃんはジャンプを購読していたのだ。

それでカブトムシの本はちゃんと返したから南側の本棚にあるわけなく、中国語版の西遊記はあったが、意味がわからないから端から誰にも読まれずに黄ばみ、ますますみんなから遠ざけられてしまった。私はまたあれが読みたいと思うが、今は本棚そのものがない。結局母は公民館に電話をし、
「息子は借りた憶えはないと言っている。カブトムシの本は借りたと言っているが、それはちゃんと返している」
と説明をしたら、もうそれ以上は何も言われなかった。私はその一年か二年前にはいじめられていたから、たぶんいじめた人の中の誰かが、私の名を騙って本を借りパクしたのだろう。母も同じことを考えている風であったが、何も言わずにかき揚げを揚げ始めた。私の家ではかき揚げにはソースをかけて食べていた。

それから私の人生は続き、たまに
「字、うまいね」
と褒められるときもあったが、実際はそれほど上手くはない。