意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

言及返し

昨晩は夜になってから体調が悪く、私なりに分析すると気温が急に低くなったからだ。その旨を妻に伝えると、
「出た!」
と言う。いつも言う。妻は頑丈な女だから、体調が悪いという概念が理解できない。死ぬこと以外は生きている、という発想なのである。対して私は中学生頃まで小児喘息を患っていて、東京の母の実家に泊まりで行くにも重くてかさばる吸入機を持って行かなければならず、今思うとそういう大荷物で出かけるのって、大名行列みたいだ、と思う。おかげで私はいまだに坊ちゃん体質が抜けないのである。だから妻に
「出た!」
と言われるとその度に傷つくのだが、とにかくその科白を浴びせかけられるのは私が体調悪いときなので、言い返す元気はない。とにかく一刻も早く布団に潜り込みたい、風呂はパスしたい、と思うのである。ちなみに私の家は風呂に関しては厳格であり、風呂に入らざるもの寝るべからず、という鉄の掟があるから、風呂に入らないという選択肢はない。私は九時半ころ寝た。

朝起きると、上記の目さん(目さんとは、長いつきあいだが、いまだに「目さん」という呼び方に馴れない)の記事で言及を受け、吉田戦車の四コマを文字に起こした私の文章が気に入ったと言う。たしかに引用されたぶぶんを読んでみると際立った誤字もなく、面白かった。ああやってそのぶぶんだけ抜き出されると、いっしゅん他人の文のように感じるのが心地良い。私は中学一年のころに国語の先生が、みんなの書いた作文を誰のだと言わずに読み上げるという授業を行ったが、そのとき聞きながら、
「なるほど、この人はしっかり書けているなあ」
と惚れ惚れしていたら、後半になって、自分のだと気づいた。それまで私は作文は大の苦手で、夏休みの感想文の宿題はすべて母に下書きをしてもらい、それを写して提出していた。前述のとおり、私は子供のころは病弱で、それは両親の喫煙によるところも大きかったので、母はそのことに責任を感じ、作文くらい代わってやろうと思ったのである。私はそうやって甘やかされて育ったのである。

そうなると中学の国語教師が読み上げた私の作文というのも、本当は母が書いたのかもしれないが、書いたのは私だ。授業中に書いたから、とか、根拠を探してみるが、そんなこととっくに忘れてしまったから、やっぱり母が書いたのかもしれない。それを私は勝手に自分の書いたものと思い込み、それから修学旅行とか卒業式とか節目節目で自分の心境を綴ってみたり、小説を書いて周りの友人に読ませたり、そうして何年か前からブログに取り組み、しかしそれらはすべて母が書いたものなのかもしれない。これからも息子と仲良くしてやってください。

目さんの「ヒントくん」は、目をつぶると線だけになり、それをコメントでも指摘したが、その線だけになる感じが、私の記憶のなにかを指摘するが、それが思い出せない。ただ絵に線だけのぶぶんがあると、色を塗るときに塗る箇所がなかったり、切り絵にしたときに、線だけのぶぶんが千切れたりしてしまい、心もとない。

おわり。