「今日から甥が」という記事を昨日投稿したが、それを書いたのは甥がやってくる前でした。私は家に帰ると階段のところに見慣れない柵があって、これはもしやと思っていたらやはり赤ちゃん除けの柵であった。赤ちゃんというか幼児である。幼児は後先考えずに段差をのぼる癖があり、しかも降りる方はてんで苦手なためついつい無茶してしまう。それを防ぐための柵であった。私も這って歩く頃にベランダの柵から飛び出て屋根に落ちたことがあり、下で父が、ベランダから母が必死で私を呼びかけた、という話を物心がついてから何度か聞いた。私がベランダでポーズを取っている写真を見せられ、その背後の手すりの隙間に六角形の連続した針金の柵が張られている。いくら小さいときの私でもその隙間は通れないだろうという魂胆なのである。以来私は屋根に落ちることはなかったし、そもそも私は体格の良い子供であり、足が太いのがコンプレックスだった。幼稚園のころ、他の人の体育ズボンの余白が大きいのに対し、私の余白が小さいのが恥ずかしかった。今思えば母がジャストサイズを選んだ結果なのかもしれない。私はズボンの余白に憧れた。母が生まれたばかりの弟の体操と称して、脚を伸ばしたり縮めたり、横向きの屈伸運動をさせているのを見たときには「これのせいで俺の足は太いんだ」と恨めしく思った。なんでもかんでも理由をつけたがるのが私の正確だった。弟の足は特に太くも細くもなかった。今は弟の方がかなり太っている。
私はなんの断りもなく階段の下に柵を設置されたことに腹が立ったし、そもそも開け方が分からずイライラした。私の部屋は上にある。私は日頃家に帰ったら誰にも会わずに部屋まで行くことをよしとしていた。それを邪魔する柵が憎らしかった。このまま事故を装ってへしおってしまうのも手だったが、妻が怒るのでこらえた。部屋には義弟がいて、義弟が私の駐車スペースに勝手に停めているのも気にくわなかった。しかたなく私は隣家の柿の木の根元に車を停めた。ここの家には老婆が独りで住んでいる。二階家である。息子が二人いるが、とっくに出て行ってしまっていた。玄関に水槽があって金魚を飼っている。老婆は車を持っていなかったがいつか帰る息子たちのために入り口はきれいに舗装し、車が通れるようになっていた。私は老婆を不憫に思いコンクリートを避け、柿の木の根元に車を停めた。だいぶ歩かなければならなかったし、義弟が帰るときに再び外に出なければならなかった。妻は私が送りに出てきたのかと思い、上機嫌だった。私は送る気などさらさらなかったが、
「お気をつけて」
とにこにこしながら手を振った。これではどっちが兄だかわからない。「あ」と言って、出し抜けに後部座席をごそごそしだした。母親の肌着がなければ寝れないから、とわざわざ家から持ってきたのである。寝れないのは息子の方だ。私は秋の風に吹かれながら早くも帰らないかと思った。みんなは涼しい、涼しいと喜んでいるが、私には寒いくらいだ。早く柵を閉めて二階にこもりたいと思った。