意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

頭の中に文字はない

へや - 何を書くか、何を書かないか。

上記の記事で「好きなことについて書けない」ということが書いてあり、私も同じことを思った時期があった。書いても書き切れていないかんじが常につきまとっていたのである。さらには
「これについて書こう」
と頭の中で段落を組み立てたりすると、とたんにうまく行かなくなった。頭の中から文章をひねり出すと、理屈が噛み合わない。どこか頭の中に忘れてきた文字のパーツがあるのではと検索をかけてみるが、ぴったりはまるような言葉は決して見つからない。ピースの欠けたジグソーパズルのようである。

上記の症状に対処するには、文章をジグソーパズルのように考えるのではなく、端からそういう形だったと諦めることである。最初から筋の通った主張などなかったのである。そういう感じがしただけの話であり、そしてそれは100パーセントの錯覚なのである。よく結論ありきでものを書く人がいて、それが絶対なふうな考えをする人がいるが、それはすでに他人が出した結論を拝借しているからであり、ついでにそこに至るプロセスも拝借するからである。つまりきれいな文章を書くためにはぜんぶどこかから拝借しなければいけないのである。それを「オリジナルだ」とか、「自分の発想だ」と言う人はとてもおめでたい人なのだから、放っておけばよろしい。おめでたいというか、鈍感で厚顔無恥な人なのだから議論しても始まらないから放っておけという意味である。

『プルーストとイカ』 - takumi296's diary

どうして頭の中にあることを書けないかについては、上記の記事に書いてあるが、人間が文字を扱うようになってまだ一万年以下の歴史しかなく、そのために文字を専門に扱う領域が少なくとも先天的には脳内には存在しないからで、だから私の今日の主張は科学的根拠があるのです。