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昔村上ポンタ秀一が自分のアルバムを作っている最中に誰かがデモで入れたドラムをいたく気に入り、自身がドラマーであるにもかかわらずこのドラムをそのまま曲に採用しようと思って「誰が叩いたの?」とスタッフに訊いたら「打ち込みです」と返ってきて、それでも採用しようかと思ったが、結局見送った。村上ポンタ秀一は日本でいちばんメジャーなドラマーだから、打ち込みのドラムじゃ購入者ががっかりすると思ったのである。そのとき打ち込みのドラムに対し、村上が最初に言ったのは「根性ある」だった。
私は冒頭に貼った記事を読んだときに同じような感想を持った。だからひょっとしたら機械が書いたのかもしれないと思った。冗談じゃなく、少し前にAIがニュースの記事を書いたとか出ていたからこのくらいは書くだろうと思った。
村上ポンタ秀一は「Welcome to my rhythm」という本の中で、「最近の若いドラマーは4小節ごとに必ずオカズを入れていて良くない」みたいなことを言っていて、まずオカズというのは曲の中でドラムが場面の切れ目で連打するみたいなプレイをいうのだが、それが見せ場だと思っているドラマーが多いという苦言なのだ。だけど、私もドラムをやっていたことがあり、しょっちゅう先生に「もっとシンプルにやりなさい」と注意された。「シンプルにやれ」と言われたわけではないが、とにかくもっと簡単なことを丁寧にやれみたいに言われた。しかし一方で自分も若い頃はそうだったから強く言えないとも言っていた。
若い頃はとにかく自意識に振り回されることが多く、今朝もちょうど学生と思われる人の文章を読んだらやたらと「ー」のような伸ばし棒ばがりで鬱陶しかった。比喩を大げさにしたり、やたらと文を装飾するのはドラムにおけるオカズと似ている。私だって完璧に自意識を制御できてるなんて言えないから偉そうなことは言えないが、少なくとも私はこれらの人たちの先生でもないからあえて注意しようとも思えない。「若い」と書いたが若くとも落ち着いた書き方をする人もいるからこれは才能だろうか。
私が村上ポンタ秀一はかつて打ち込みのドラムにかんする記事で「生演奏がいいという人がいるが、お前の演奏よりも打ち込みの方がよほどうまいよ」みたいなことを言っていて、生ドラムの演奏する人こんなことを言うなんてすごいと思った。確かにそうなのである。私は最近のAIの話を聞いて、文章においても同じことが起きると予感した。機械のほうがよほど正しい日本語、正しい文法で書いてくれる。書く側は「人間くささが」とか「行間が」とか言うだろうが、それらはすべて戯れ言で、やがて淘汰されるだろう。書く意味がない、とみんなが書くことをやめるだろう、初めから書く意味なんかないのに。
冒頭の記事は読ませようという気概がかんじられず、淡々と、しかし執拗にセフレをつくる手段について述べられており、私は狂気をかんじる。たとえば人間が書くときに自分がこれから書く内容については読む人はどのくらいの予備知識があるのか、とか私は特にドラムの話をするときには世間の人がドラムのことをどのくらい知っているのか見当がつかないから、ついつい言葉を足してしまうが、これはナンセンスだ。とにかくナンセンスだと思いつつも毎回つまづくのだが、セフレはそういうつまづき、迷いがまったくかんじられない。そこが機械っぽい。あと「セフレをつくるには聞き上手になれ」みたいなアドバイスの下に出てくる例がまったく聞き上手ではなくて、正直読んでいるこっちが馬鹿にされている気になる。だけれども書いている人が馬鹿にしようとしているのか、それとも本気でオウム返しが聞き上手だと思っているのか見えてこないところも機械っぽい。