意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人生が広い

若いころは仲間とノートなどに書き物をしていて友達などは律儀に「2001.1.21」などページの右上に書いていて(そういえばダイガクノートと呼ばれるものには必ず日付を入れる箇所があった)私は「律儀な人だな」と思った 私はせいぜい暑いか寒いかくらいがわかればいいから「8/5」みたいな書き方しかしなかった 2年前か3年前かの判別は考えるまでもない問題に思えた しかし12年前と13年前の判別はかなり難しくなった 12年前はもう仕事をしていたがひとつひとつ覚えている大きな出来事を時系列に並べるのも不可能だ


中学のころ小学校の担任やクラスメートの名前と顔を思い出すのは楽勝だったが今は違う 小学よりも中学以降の欠落のほうがひどい 大学時代はまともに話をしたのなんて10人にも満たないがその半分の名前も思い出せない 小平に住んでいる人がいたのは覚えている 若いころは記憶を征服するのは簡単なことと思っていたが人生があまりにも広すぎた 私の容量が小さすぎるのかもしれない 今はおぼえられないことにも慣れたから違和感もないが昔はもっとおぼえられたしおぼえ方もなんか違った この先も人生は続くのだから道を見失うのは必至だ