意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

古い写真

古いと言っても7、8年前だが今の会社に入った頃に撮られた写真が出てきて今よりもかなり髪がもっさりしていて驚いた。髪だけでなく眉毛も太い。垢抜けてないの逆が出てこないからその場しのぎで代用するがまさに垢まみれである。どうしてこんなにもっさりしていたのか謎だ。パーマ屋が悪いのか。当時通っていたパーマ屋の担当美容師は自信をもって「あなたのような頭の形だと絶対に耳は出さない方が良い」と言われ続け私もそれに従っていた。つまり耳はしまったままだった。今は100パーセントの露出である。今の美容師に以前耳は出すなと言われたことを話すと「そうですかね」と不思議がっていた。流行だろうか。確かに当時撮った直後はなんとも思わなかった。同時期に撮られた上司のネクタイが曲がっていてそれを指摘したら露骨に無視された。もともと返事が遅い方の上司だったからそのときも待っていればそのうちなにか反応するかと思ったらそのままで私は気まずい思いをした。今は慣れたので特に思うこともなくなった。だいいちもう上司ですらなくなっていた。それから数年後に一度その写真を見ることがありそのときも「もっさ」と思った。もっさりしているからである。そして今日再び同じ感情を抱きこうして何度見ても初めて見たかのような新鮮さを抱けることに感動すら覚えた。かつてこんなにダサい時代があったというのも感慨深い。この頃はたしかTwitterにハマっていてオフ会だのにも出たのだ。こんなにもっさりしているのに。そこでメガネをかけた人に「こんなに自分自身をおとしめるような話し方をする人も珍しい」と評価された。そのような視点も新鮮で私はその人と何度か会った。最後に会ったときには急に白髪が増えて毛の本数も減ったからヤバそうだった。話すと普通だったがそれがその人に会った最後だった。


オフ会も多人数のときはつまらなかったし少人数も当たりハズレがあってもう何年も参加していない。他人を踏み台にして場の空気を支配しようとする人はどこにでもいて昔からの友達ならまだいいが(それでも陰口は言う)初対面の人なら容赦なく嫌いになった。たいていの人は私の知らない話ばかりしてそういえば私は根っからのインターネットっ子ではないから話についていけないのは当然だった。こういう話を自意識抜きに語るのは難しいが私は昔から疎外されることが多くそれが私のキャラと自負しているぶぶんもあった。中学二年のときにクラスの中心的な人がクラス内を派閥に分けるという今で言うスクールカースト的なことをやったが私は最後まで無所属だった。私は決して一匹狼を気取っていたわけではなかったが人間関係に執着しないというかとにかく人から言われたことはよく聞いた。その物わかりの良さが人からすると気持ち悪いと写ったのかもしれない。私もたまに「どうしてこんなに人の言うことを聞いてしまうのだろう」と思うことがある。今でもそうでこんなに律儀に会社の言うことをきいて馬鹿みたいだと思う。もっと反抗すればいいのにとかあるいは顔では「はい」と言って後から文句を言えばいいのにとか思うが私は私なりにいつも納得してしまう。しかし最近はいないところでよく文句を言うようになった。