意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

チャットモンチーの歌詞がしんどいときがあって別に嫌いなわけじゃないが

どうやら女の苦悩的なところに「ふう」となってしまうのではないかと思った よく嘘泣きする女が登場する 嘘泣きというのは私はよくわからないが当人としてはすくなくともそのときは嘘ではなくマジで泣いているつもりではないかと推測する よくわからないと書いたが私も小学1年のときに食べ終わった給食のスプーンをカゴに入れる前に持って行かれそうになったから面倒だと思ってうつむいて腕で両目をおさえたら「わー、悪かったよ」というかんじで係が戻ってきた そのときはそうやってうまい結果を得られたがおそらくそういう嘘泣きはそれが最後だったと思う その後は自分で格好悪いと思ったのか通用しないことを悟ったのかやらなくなった


チャットモンチーは比喩と韻が素朴というか「下手くそだなあ」と思うことがあってそこにロックをかんじることもあればしんどいときもある そもそも上手いロックなんて糞ったれだからいいし私は多くの日本語の歌詞については上手いとも下手とも思わないので「しんどい」と思う時点で私は興味を抱いているのである その理由が「女の汚さ」でありじゃあその「汚さ」をいったん置くことにして次に現れるのが「愛」だから私は絶望をかんじる チャットモンチーにはシュールさというオプション・球種はないのである


最近集団行動というバンドを聴き始めたが歌詞が上手いなと私は思うがそういうのは大抵いいところに歴史上の登場人物が放り込まれたりしていいかんじにスパイスになって眠っていた私の脳を揺さぶるのである そうするとその次の曲で愛が歌われたりしても「まあいいか」と甘い評価になるのである


チャットモンチーであと好きなのはベストアルバムのメッセージで音響の人が「スネアドラムのチューニングが低すぎてひどい状態で録音したテイクがあったが後日コンビニでそのチューニングのままで流れていたから腰が抜けそつになった」とほとんどけなすようなメッセージをそのまま載せていたとこれでちなみにそれは「シャングリラ」で以来私はシャングリラのスネアの「どぅぉぁん」という音が大好きになった 実は私も昔はドラマーでかつ低い音のチューニングが好きで音響の人に「もっとピッチ上げないとマイクに乗りませんよ」と注意された過去を持つ