意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

あの日に帰れない

いろいろな種類の思い出があるが例えば夏休みに二泊三日で新潟の海へ行って帰ってきて閉め切った部屋が死ぬかと思うくらい暑くて急いで窓を開けて一段落したところでテレビを見たりコロコロコミックを読んだりしつつも日常に戻ってしまった寂寥感をしみじみ味わうみたいなことを思い出すとどうしてそのときの日常に帰れないのか戸惑う 非日常というのはそれ同士でくっついているせいなのか意外とそれが一度きりということに奇妙さはかんじない 悪い思い出ならなおさら遠ざかることができて幸せだと思う それでも大人になることが100パーセント良かったことだとは思えない 大人になることの定義は様々だが最近人類の進化みたいな本を何冊か読んでいるとそれは私という個人が生命の大きな流れの中のひとつのパーツに過ぎないことを思い知ることだとかんじる ひとりひとりの心の中に宇宙があるみたいな話を目にするときがあるがあれは嘘だ かけがえのない私というのもまやかしで私たちは常に忘れ去られる存在だ この前インターネットで流れてきたSFみたいな漫画を読んだときいちばん心に残ったのは主人公が死ぬものの思考回路がプログラムとして残って第2の人生が始まるみたいな展開のときで要するに肉体と記憶をコピーすればそれは「私」なのかみたいな話なのだがそのときはいつもと違う考えになった いつもならコピーされる側の私は削除された時点で死ぬから怖いねみたいなかんじだったがそのときは死とはふっと電気を消されるみたいなものであとはコピー先の新しい私がうまくやってくれるから安心だみたいな気になった 私たちは大きな勘違いをしていて私たちは全員哲学ゾンビなのである 記憶と肉体があればいつでもどこでも私であり、