意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

なぜ駅の券売機は暑くて不快なのだろう

今日は出張だが慣れない土地で切符を買うときふと20代の始めに渋谷駅で切符を買ったときのことを思い出した そのときも今も暑いうえに空気が淀んでいて不快だった そのときはライブをしにきていたので各自が担当楽器を背負っていて今はノートPCを背負っている 奈良時代だったら年貢米を背負っているだろう 火の鳥鳳凰編」でやせ細って餓死寸前の農民が「お恵みを」と来て我王が「こいつはインチキですぜ」と背中に背負った荷物を切ると中から米がじゃーと出てくる しかしそれはお上に納める年貢米で我王は同行していた坊主(名前忘れた)にとがめられる 農民は背中の米がじゃーとなったショックで死んでしまう 我王は自らの行いを恥じせめてお経を上げてくれと坊主に頼むが「こんなところであげても金にならん」と断られる


だから私も背中のノートPCを叩き割られたらショックで死ぬかもしれない 生き死には極めてシンプルだが組織はシンプルさを恥じる傾向がある 私は20代初めのころは今より自由だったのかもしれないが渋谷の券売機にいたのは夕暮れでありライブというのは普通夜にやることが多いが私たちのような弱小バンドは昼にしかライブをやらせてもらえなかった ライブハウスのスタッフは大抵どこでも糞ったれで偉そうだった 今はそこまで偉そうにする人は周りにいないがそれは単に私が年をとっただけなのかもしれない だとしたら年をとることも糞ったれなのである


年をとって徐々に体も固くなって私も朝起きるときに腰が痛くて横向きにしか起きあがれなくなりつつあるがそれは謙虚さを維持する好機なのかもしれない 多くの人はそんなふうな解釈をしないが