意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

途中式(25)

私ははてなブログというサービスで「途中式」を連載しているがそれ以前も毎日何かしらを書いて投稿していた それがもう4年続いている 私はひょっとしたらこの「途中式」が終わったらそのままブログの投稿も終わるのではないかとふと思った この4年は割と書くことにフォーカスをあてていて私の書くことに対する考えに新鮮さをかんじる人も中にはいたようだが最近はあまり興味を失ってしまった だからといってこれまで書いてきたことすべてのことが今綴る一文字一文字に反映されなくなることはないが


仕事が休みだったので西野カナについて考えていた ぼんやりとベランダに干した洗濯物を眺めながら考えた 考えるうちに洗濯物どうしの隙間から見えるベランダの手すりとその間の空が反転して見えてきた そういうことはよくあるのである 私は西野カナについてはきちんと理論武装していつでもスマートに自分が西野カナの音楽を聞くことに耐えられないことを説明したいと思っている 私にとって西野カナこそJポップの象徴でありその前はオレンジレンジだった 西野カナオレンジレンジの象徴ということではなくオレンジレンジはかつてJポップの象徴だったという意味だ