意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

結局誰かに認められたいだけなのか

最近できた嫌いな人について考えていてそれは結局はその人が私のことを認めないからではと思い至りそうなると結局は私次第なのでいくらか気は楽になった 認めないから嫌だというのはずいぶん強欲だし私は相当な自惚れやなのだろう 自惚れないと色々しんどいのである 他者への非難も結局は自分がいかに素晴らしいかを語っているのと同じなのである それでもだいぶニュアンスが変わるのはお国柄だろうか 恥の文化とか言いますし


土日にまったく相手にしなかった甥が帰り帰る寸前は泣き叫ぶ声が聞こえそれがなくなるとしんとしてなんだか悲しくなってしまった 資本主義はやっぱり糞ったれだしPDCAだか知らんけどスピード偏重でどんどん大ざっぱになるのは心底許せない すべてを見通している人の声はあまりに小さくて浅はかな人ばかりがのさばる 一方でそういう空気に馴染めない自分が誇らしくもある すべては適当でいいのだ