自分の人生を語るときに「ダークサイド」という言葉を使うとわりとすんなりいくことに気づいた 私の被害妄想とか性格の悪さとかそういうのってそもそもどこからきているのという話題になったときにストーリーが必要になるが私の場合「中学のときにダークサイドに落ちてしまって」と言ったら相手も納得してくれた ダークサイドとは不良になったとかそういうことではなく世の中をひねて見るようになってしまったというかんじである 中学のときに何が起きたのかというと中学入学のときに小学の友達が半分になってしまい代わりの人たちは小学からほとんど持ち上がりでそれが自動的に派閥になって少数派の私たちはなんとかそこに食い込まなくてはならなかったが私はそれにしんどさをかんじ次第に無理に仲良くする必要はないと思いそれを理論立てて正当性を打ち立てようとするとどんどん孤立した
実は中学に入ってそうなったというのは実際ではなく小学時代からその兆候はあった 四年のときにいじめられそれを乗り越えるためにいろいろ自分の認識を変えなければならなかった 五年になると教員が気をつかっていじめる側とクラスを分けてくれおかけで最後の二年は人生でいちばん楽しい時期になったが中学になると再び気を張らなければならなくなった
しかしそんなことは今となってはどうということではないし現に人に楽しんでもらうために「ダークサイド」というデフォルメされた言葉を仕入れた しかし去年に働く場所が変わってほとんど初対面の人という状況で私がいかに他人に嫌われることを恐れているのか再認識した