意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

何が人を傷つけるのかはわからない

「2年ほど前に大病で入院した料理が得意な夫のレシピメモを、断捨離性分の妻がそっと処分。それに激怒した夫は間もなく帰らぬ人に。今も後悔している」~妻の投書にざわつく人々 - Togetter

相手の大切なものを捨てちゃってひどいというのはわかるが捨てるなんてあり得ないと捨てた人を責める気にはなれない その前の日に鴻上なんとかさんの人生相談で夫婦だってわかり合えないのがデフォルトですよみたいな話があって私は膝を打って納得したところだ 相手の趣味が何で何を大切にしているのかというのもそう簡単にはわからない 例えば私のような人間はとても入り組んでいて口では「趣味はない」と言うが妻からしたら多趣味の人に見えるらしい 例えば妻は私の本を処分してもらいたい風だ 私からすると小島信夫村上春樹の本をある日捨てられたらやはり怒ってしまうかもしれない 捨てられてもへっちゃらなのもあるが妻からしたらどれがどれなのかわからないというのは納得できるから私は「いつ捨てられても仕方ない」とは思うようにしている 逆に妻などはアイドルが好きだがDVDをその辺に無造作に置いてそれを甥がさらに無造作に扱って裏でわめいているが私からするとどうして手の届かないところに保管しないのか理解できない あるいは私と同じ心構えなのかもしれないが


しかし理解できないからこそ触れない・近寄らないという風になるのではないか 相手の大切なものを捨ててるとに捨てる側の理屈は感情的な場合を除いて「良かれと思って」なのである つまり相手への関心がどこかで歪んで問題となるのだから無関心のほうが余程トラブルを避けられるはずである