中学のときの部活の顧問が体罰をする人で技術科の教師でもあったからそのことは暴力をふるわれる前から知っていたが、まさか私もふるわれるとは思わなかった。私は地味だが大した問題も起こさない生徒だと自負していた。ただ部活はさぼり勝ちだった。一学期は真面目に出ていたものの、夏休みに入って二日目か三日目に炎天下でフェンスの前でぼうっと立たされて、やっていることが馬鹿馬鹿しくなって通うのをやめた。そもそも休みの日なのに学校へ来ていることがどうしても理解できなかった。それから二年たって受験生になったときに塾に行っている友達が「だって昼間遭った友達に夜も会えるなんて最高じゃん」みたいに言っていて塾も行かなくて良かったと思った。部活へ好き好んで行く人はたぶん人と会えるのがうれしいのだ。私にも会って嬉しい人はいたが、そういう人と同じ部活に入らなくて良かったと思った。
それでも部活の人たちとは関係も特に悪くなかったから、だらだらと続けていた。二学期になったら少しは顔も出していた。学年があがった頃に体罰教師が顧問になって私は殴られた。もちろん殴られる妥当な理由はなかった。顔を真っ赤にして怒りを露わにして、今思えばこの人は私たちを家畜のような存在と思っていたのかもしれない。殴られたのは複数で、その中に気の毒な正直者がいて、教師に反論したら逆上して連帯責任となって殴られていない人も土手を走らされた。土手は一周800メートルで30周を2時間で走るよう指示された。私はもちろん理不尽さに反論したかったが、何をしても良い方に転ばない勘が働いたので黙っていた。正直者は殴られなかった人たちからも恨みを買った。その人は深夜ラジオをよく聞いていて、授業中寝ていることが多かった。私はどんな気持ちで走ったのかもうおぼえていない。暗くなった頃に終わりの通達がきて、解散となった。半分も走り終えてなかった。
それから私は特別グレたわけではないが、上級生がいなくなると部室に入り浸るようになり、仲間とわいわい騒いだ。私は人間が嫌いなのではなく、スポーツが嫌いだったのである。たまに顧問がやってくると、顔を合わせないようにして帰った。それで土手から捨てられたソファを拾ってきたりして楽しくやっていたが、あるとき一年にチクられて、顧問と顔を合わせなければならなくなった。部室で楽しんでいたのは他にも何人かいたが、悪いのは私ともうひとりと、あとその場にいない人ということになった。私は頼まれてそうなった。確かに私は主犯格だが、そりゃないぜ、と思った。しかしあまり憎む気にはなれず、私は切られる尻尾になることが多い人生だった。(後から一年は罰として土手を走らされた)
殴られるかと思ったが今回はネチネチと言われるだけだから楽だった。とりあえず無理のない範囲でいない人に責任をなすりつけたら「電話しろ」とその場で受話器と名簿を渡され、緊張しながらかけたらつながらなかった。それでネチネチ言われて結局部室の使用が禁止になったが三日もしたら解禁となった。さすがに前よりかは部室にたまることはしなくなったが、もうその辺の記憶はなくなってしまった。どこかにも書いたが私の人生でいちばん楽しかったのは小学6年で、中学はそこから引きずり下ろされたような三年間だった。高校はいくらか取り戻した。大学は学校はクソだったがバイトとかしてそれは楽しかった。社会人はすべての意味合いが変わってしまった。
その後も出たり出なかったりだったが、夏休みの最後の大会くらいは出ようか、と出たら休み明けに担任に「どうして最後の大会だけしっかり出るのかね?」とイヤミを言われた。それ以外の日はすべて休んだのである。担任は女で、殴りはしなかったがイヤミはよく言った。私は彼女は嫌いではなかった。大会は当然一回戦で負けた。