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ララランド 感想

ミュージカル好きの私を維持するため映画「ララランド」を観てきた。映画館まで行った。9時25分の回である。遠目のショッピングモールまで行きとちゅうで間に合わなそうになったので諦めようかと思った。時間に追われるなんてほんとうに馬鹿らしい。ナビの時間は上映開始の五分前到着予定だったが広い駐車場を歩けばすぐにそんな時間は消し飛ぶので私は遅刻するものと決めつけていた。しかし間に合った。しかしどちらにせよ長い予告があるから間に合わなくても同じだった。そうだろうと思っていた。そう思いつつ諦めてしまうのも愉快だと思った。映画館は何年かぶりで前回は「HUNTER×HUNTER」だったか「生きねば」を見た。どちらが最後だったかは忘れた。「生きねば」は何かに登録キャンペーンで無料で見た。登録は見終わった後すぐに解除した。そういうのは好きではないが会社の人が「お得だから」というから従った。とにかく急いだり焦ったりするのが苦手なのだ。


ララランドはヴァイブ好きの目さんが誉めていたので楽しみだった。出だしは良かった。渋滞中の車から運転手や乗り手が降りだして自分の車の上でがんがん踊り出すシーンには狂気をかんじた。あれだけボンネットや屋根の上でステップを踏んでへこんだりしないのだからアメリカの車はとても丈夫だ。その次のパーティーに行く? 行かない? のどうでもよいことでいちいち踊り出すのも楽しかった。部屋着のエマストーンのズボンのウェストの紐がちょろりんとうどんみたくなっているのがたまらなかった。パーティーは結局行くのである。


しかしその後は総じて退屈だった。私は愛だの夢だのはあまり興味がなかった。もっと歌って踊ってほしかった。もうひとりふたりボーカルがいたら良かった。特に低いキーの見るからに悪い人とか出てきたら楽しいのにと思った。「ジーザスクライストスーパースター」だとカヤパが低い。アンナスは気の抜けたような歌い方でユダに金を握らせる。


ラストの妄想シーンはハラハラしたが妄想じゃなければどれだけいいかと思った。話の設定が「マルホランドドライブ」に似ているから私は見ながらマルホランドドライブのことを考えた。妄想シーンはちょっと手をくわえれば「インランドエンパイア」の顔の長い女が道に迷って出られない変な小さな部屋に閉じ込められるシーンぽくなると思った。あの映画もとちゅうで誰と誰が夫婦だかわからなくなるし踊りのシーンもある。しかし踊りは楽しいほうがいい。


夢や愛についてぶつかり合う男女にスマホは似つかわしくないと思った。「夢=成功」という価値観は古い。成功不成功のあいだを隔てるボーダーはそこまで確固としたものなのだろうか。