意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

分数

一昨日くらいに旧川さんが分数について記事を書かれていて、思い出してみるとそれはサンボマスターについての記事で、後半で「○ンボマスター、○に入るのは?」みたいな大喜利テイストになって、私はぼんやりと、
「分母マスター」
と答えていた。一方で私のヤンチャなぶぶんは、
「チンボマスター!」
と、息巻いていたが、旧川さんは
「チンボマスター:泌尿器科医」
と、エロ0%で淡々と答えていたから感動した。

ところで、私が小学時代に初めて「分母」という言葉を目にしたときに、自分の母親を連想したことは言うまでもない。低学年の頃、一度か二度、担任を
「お母さん」
と呼びそうになって「おか....」でなんとか踏みとどまったものの、級友たちにはバレていた。私はそこで、
「違うよ、オカマだよ」
と苦しい言い訳をした。もちろんお釜のほうであり、
「(担任の女性の)お釜の似合いそうな、家庭的な一面を発見した」
と、言いたかったのである。とは言うものの、じっさいの担任は生徒の椅子や引き出しを没収し、独裁者然としていたわけだが。それは一年の担任であり、二年は定年寸前の、家庭的というか家庭そのものといった風貌であり、給食でご飯の減りが悪いと、どこからか塩を持ってきて、オニギリをこしらえて生徒たちに振る舞った。とてもうまかった。

ようやく教師と母親の区別がついてきたころ、「分母」という言葉が登場した。分母の上には分子がいて、それは母親が幼子をおぶさっているように見え、懐かしい気がした。私にもそういう時代があった。私は母に抱き上げられた記憶はないが、二歳か三歳のとき、車で出かけたときに家まで歩くのが面倒だから寝たふりをして、父に抱きかかえられて運ばれた記憶がある。私はそういう記憶があるから、幼い子供でも意外とズルい一面があると認識している。

分数は分子の数の方が分母よりも大きくなることがあり、そういうのを仮分数と呼ぶが、仮分数の、なんと甘ったれのことか!

http://qka.hatenadiary.com/entry/2016/05/06/205825

スマホはじゃんじゃんやらせたほうがいい

こちらの記事を読ませてもらって思ったが、私には子供が二人いるが、じゃんじゃんスマホやらせる派である。じっさいやっている現場に遭遇しても、
「やめろ」
とは言わずに、よしよしと思って私は本を読んだりゲームをしたりする。ゲームはスマホのを最近始めた。そうすると子供に
「またゲームしてる」
と注意される。ここで私は割と真剣に
「お互い様だろ」
と言ったりする。

妻は私と違ってスマホをいじる子供に向かって、
スマホやめなさい」
と注意することが多い。だから、私が注意をしないのは、妻が注意しているからという理由もあって、妻も注意しないスタンスなら、私は言うのかもしれないがわからない。しかし私は自分にできないことを、子供にさせようとすると、なんでもそうだけどちょっと笑っちゃって真剣にはできない。妻は子供からスマホを取り上げて、今度は自分が熱中するのである。私はスマホとかテレビとかに熱中してしまうと、
「損したな」
と思ってしまう。

やめろやめろと言われると、やりたくなってしまうのが子供なので、本当にやめてほしいことは
「いいよ」
と言う方が効いたりする。これは長年の私のキャラクターを子供が理解したから可能なぶぶんもあるが、子供たちは私が
「好きにすればいい」
という旨のことを言うのを、けっこう恐れている。あるいはシラケるのか、
「あーもういいや」
みたいな雰囲気になる。

よく幼い子供に絵本を読ませるのがいいというが、大人からしてみるとほとんどの絵本はスマホよりもつまらないから、読むのは苦痛だ。情操教育に良いと言っても、平仮名ばかりな上、ストーリーもなんのひねりもなく退屈なのである。私は子供に、
「絵本読んで」
と頼まれたことがあったが、自分ばかり読むのはずるいと思って、
「どうして俺ばかり読まなきゃいけないんだ。かわりばんこだろ」
と提案し、一ページずつ順番に読むことにした。すると、絵本というのは見開きに、
「わあ!」
とかしかないページがあって、そういうのが相手に当たるとずるいと思うし、自分に当たると
「ラッキー」
と思う。自分に当たると子供が文句を言うときもあるが、あまりにしつこいとそこでもうお終いである。しかし、私にばかりラッキーページが続くと気の毒なので、そういうときはオマケをしてあげる。あと、たまには漢字も読みたいと思うから、後ろの出版社名とかまで読むと
「そこは読むな」
と注意される。

私も確かに子供が四六時中DVDやスマホばかり見ているのは、確かに良くない、と思うが、昔祖母が戦争中に食べ物がないときに、配給された食べ物を、まず母である自分が食べたという話をしていて、変なのと思っていたら、
「自分が食べなければお乳が出なくて、結果子供も餓死してしまう」
と話していて、それと同じなのではないかと思った。つまり四六時中子供のペースに合わせていたら親は参ってしまい、子供につらくあたったり、暴力をふるってしまう。そうなってしまうくらいだったら、スマホでもゲームでも、好きなようにやらせたらいいと思う。そうして放っておいているうちに、少しは親らしいことをしたくなるのである。周りが
「もっとしっかりしなよ」
と言うのは逆効果である。

何日か前に私はレンタルビデオ店に行った。するとそこには母親と母親に抱かれた一歳くらいの子と、母親の言うことを聞かない四歳くらいの男の子がいた。男の子はゲームが見たくて、母親は帰りたかった。どう注意するのだろうと見ていたら、
「早く来ないと、怖い人が来るからね、知らないからね」
と言ったが、子供は全く素知らぬ顔だった。何故かと言えば、怖い人はとっくに来ていたからである。

鼻毛

朝一番(9時)に歯医者を予約してあったので歯医者へ行き、そうしたら私よりも早く来ている人がいて、その人はこの後私がコンビニに行ってそこにいたレジの人と同じ名前だったから私は
「偶然だな」
と思った。歯医者の後にコンビニに行き、そうしたら鼻の穴がむずむずするなあと、実は昨日くらいから思っていて、車のミラーで確認したら、鼻毛が生えていた。鼻毛が生えるのは老若男女同じなので詳しく書くと、両穴の内側から外に数本飛び出ていた。ふだんの表情ならまず気づかれることはないが、大げさな笑いをすればわかってしまうかもしれない。私は愛想がいい方なので注意が必要だ。鼻の穴の内側とは鼻毛にとってみれば安全地帯で、鼻の穴をよくよく見ると、飛び出ている人は多い。私の以前の上司なんかも、仕事の真面目な話をしているときに、ふと鼻に目をやると、芝生みたいにごっそり生えていたから私は
「中年だな」
と思った。私は春から少し立場が上がってしまったから、鼻を注目される機会も増えたから注意しなければならない。いちばん手っ取り早いのは鼻毛どうこうよりも、早く失敗でもなんでもやらかして、元鞘におさまることである。しかし「元鞘」におさまるには、かなり絶妙な失敗をやらかさないと、さらに過酷な部署に追いやられることになる。噂の噂ではそういう話もあるらしい。私が一体何をしたってんだ。営業所の所長は鼻毛の手入れは行き届いていそうだが、細かい男だから嫌だ。あととつぜんキレ出す。これは私が怒られたわけではないが、よく建物の外に、水道の元栓があって、そこだけ蓋がしてあって、開けるとちょっとへこんだぶぶんにコックがあって、その周りは土だったりするじゃないですか。あるとき蓋が外れていたのかそこに雑草がもっさり生えていて、所長はそのことにとつぜんキレだし、
「今すぐ抜いとけ!」
と私の先輩を怒鳴った。私もそばにいたから
「なんて理不尽なんだ」
と思いながら、この土のぶぶんに肥料でもやって、丈夫な雑草にしたいなあとか思った。

それでこの所長という人はとにかく雑草嫌いらしく、もしくは大好きで、連休前には一日じゅう建物のまわりの雑草を引っこ抜いてそれを透明のゴミ袋に入れてゴミ袋は4袋くらいになって、私はそんなことにはまるで気づかず、夕方になってやたらとおでこの汗を拭って疲れたアピールしてきたのでなんだろう、と思ったら窓の外に雑草のつまったゴミ袋が射殺された豚のように腹を横たえていた。私は最近仕事でVBAをやるようになったので、VBAの良いところは、画面に向かっているだけで、周りには忙しそうに見えるところなので、私はわざと眉間に皺を寄せ、変数のありかを追っている振りをしたら、後輩が
「おい、袋持つの手伝ってくれ」
と言われていた。袋、とか、傑作なんですけど。

実は私は少し前にエチケットカッターを買い、昨日カットしたばかりだったから、それなのに鼻毛が見えるところに飛び出るのはおかしいと思い、私の使い方がいけないのか、カッターが不良品なのか、刃がダメになったのか、確かに開けてみると、中が汚れていることもあるから、手入れはこまめに行わなければならない。

天気のみ良い日はクラシックを聴こう

朝から妻とシカ菜がでかけてしまったので(しかし私は留守番ばかりだ)、だらだらと部屋の片付けや衣替えなんかをしながら過ごしている。本を読んだり、携帯のゲームをやったりするが、どれも熱心にはしない。私は、最近よく思うのだが、何もしないことが好きなのだ。ぼんやりと、窓の風景なんかを眺めているのが好きなのだ。それは一週間か二週間前に那須に行って、そこのホテルに泊まっているとき、それは四階の部屋だったが、私以外の家族はみんな女で、女たちはみんな風呂に行き、私たちはその前に別の風呂に行っていたから私は風呂はパスして窓際の椅子に浅く腰掛けて足をテーブルの上に投げ出し、ヨーゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」を読んでいた。この小説の派手なことがあまりに起きない展開に私は幸せを感じていたが、ふとホテルの正面に停められた車が赤く点滅していることに気づき、その正体を突き止めようと窓に身を乗り出すと、それは救急車のサイレンを車のボディが反射しているのだった。宿泊客の誰かがのぼせたのか、露天風呂で足を滑らせたのか、お客は老人ばかりだったから、なんらかの発作が起きたのかもしれない。そんなことを考えながら眼下の救急車の屋根をずっと見つめ、担架が乗せられ、付き添いのおじいさんが浴衣のまま乗り込むところまで見ていた。途中で飽きたので、救急車が山を降りるところまでは見なかった。

私はすなわち、何かやらねばならないこと、やりたいことをやらない・できない理由を見つけると嬉しく感じる性分だった。片道二時間かけてそこで一夜を明かすなら、その間は仕事も友人関係も何も考えずに済んだ。スマホさえなければ、ブログだって書かずに済んだ。

2

今日は天気が良く、またひとりなので音楽でも聴こうと思い、この陽気に合う曲はなんだろうと思い、最初はアルフレッド・ビーチ・サンダルの曲を三曲聴いたら飽きた。私は、自分の死んだ後のことを考えるのは馬鹿らしいが、自分の葬式にこのアーティストの曲がかかったら、あっけらかんとして良いと思う、と思った。

それで私は、次に何を聴こうかと思ったときに、ロック系をよく聴くけれど、むやみに心拍数をあげたくないし、しかし日本の「バラード」と呼ばれるジャンルは、べたべたして聴いていられない。そう思ったらもう日本語を耳にするのが嫌になってきて、洋楽かジャズが良いと思ったが、ジャズもうにょーんとした感じで今日の気候には合わないから、最終的にクラシックにした。しかし私はクラシックはふだん全く聴かず、聴いても英雄ポロネーズをたまにユーチューブで観るくらいだった。ユーチューブにはプロアマの演奏があったが、やたらとスタッカートキメキメの演奏があって、私はそれを聴くと愉快だったので、そうじゃない普通バージョンのを聴いたらすぐに飽きた。それで私は不意に「のだめカンタービレ」のことを思い出し、ずっと昔に私はのだめカンタービレを読んだことがあった。読む前か後が忘れたが、昔勤めていた会社で、私の直の上司だった人が、私よりも年が下で、のだめカンタービレのCDを聴いていた。その人は小さい「っ」を大きい「つ」で発音する、「やっぱり」を「やつぱり」と言ったりする気持ち悪い喋り方をする人で、自分では中性っぽさをアピールしているようだったが、腕毛が濃かったので、
「まずは剃ろうぜ」
と心の中で私はひそかに思った。私はその会社はすぐに辞めてしまったのだが。

のだめカンタービレのアルバムを聴いていたら、バッハのピアノの曲が流れてきて、私は懐かしい気持ちになった。最初はショパンだっけ? バッハだっけ? と判断がつかなかったが、スマホを見ると
「バッハ」
とあったからバッハだった。私は昔ドラムのレッスンに週一回、六年くらい通っていたが、あるときにやめることになり、最後のレッスンのときに先生にもらったのがキース・ジャレットの弾くバッハのCDのコピーだった。キース・ジャレットは元はジャズピアニストだが、そのCDではソロで、余計な装飾は一切ない演奏をしていた。どうしてドラムレッスンの餞別がピアノなのか奇妙だった。

そういえば私のブログの第一回はキース・ジャレットの話で始まり、それからもうすぐ二年が経つ。

春が自転車に乗ってやってくる

シカ菜が新しい自転車を買ってもらったと言い、それは水色のぴかぴかの自転車であり、おかげで水色がシカ菜の好きな色ランキングで三位となった。(一位:オレンジ、二位:黄色)

どうして私がたがだがひとりの子供の好きな色をここまで子細に知り、また忘れずにいられるのかと言うと、前日私以外の家族が群馬県かどこかへ行って、ロウソクを作ってきたからで、それはロウを流し込む前に、砂だとかでデコレーションするのである。男の私からすると、そんな手の込んだことはまっぴらであり、現に以前どこかの避暑地で焼き物だかやったときも、私はそうそうに建物の外に出て、駐車場の車止めに腰掛けて、ブログの記事など綴っていた気がする。私はデコるとか彩色するとかそういうの全般が苦手であり、過去の記事含めて私のブログが、ただただ文字のみが並ぶ殺風景な画面であることからも、そういう性質が推し量れると思う。

それでシカ菜の作ったロウソクの砂が、上からオレンジ、黄色、緑で、さらに今も私のすぐそばにロウソクはあったから、私は彼女の好きな色をすぐに把握することができた。水色が外されたのは地面にそぐわない色だったからか、あるいは自転車を買ってもらう前だったからである。私は今日の昼にその真新しい自転車を初めて目にしたが、予想したとおり水色はいくらか子供っぽい色であり、サイズは大人が乗るのにも申し分なかったが、成人するまでにあと一度か二度は買ってやらなければならないと直感した。ちなみに私が小学生のときに買ってもらったのは二年生の時で、馬に例えるとポニーくらいの大きさの自転車で、色はシルバーと黒で申し分なかった。それまでは未就学児が乗るような、ギャバンが側面に書かれたような自転車に乗っていた。ギャバン号は、私が喘息の発作を起こして一、二週間入院し、退院したら玄関に置いてあったのが最初だった。それからしばらくは補助輪をつけて家の外も走り回り、私の家の周囲は当時はまだ砂利道で、砂利道を補助輪付きの自転車で走るのにはコツが要った。コツというのは、砂利道というのは車がたくさん通ることによって表面が凸凹になり、そこに雨が降ることで凸凹がさらに強調される。そこを横幅のある補助輪付き自転車が通ると、水たまりのぶぶんで後輪が空転し、前に進まなくなってしまう。それを回避するために補助輪付き自転車は道の端が、ど真ん中を走行しなければならなかった。ある日端を走行していた私は、側溝に頭から落ちた。昔は側溝も広かったのである。

やがて私は隣人に助けられ、自転車も壊れることなく、補助輪を外すところまでいった。私は誰に手伝ってもらうことなく、庭でひとり練習して補助なしを達成した。なのでシカ菜の自転車の練習はかったるくて仕方がなかった。そういえばミユミはひとりで乗れるようになった気がする。

親離れ、子離れ

最近リビングの本棚に中学生向けの真面目な本が置いてあり、おそらくそれはミユミにその母親が買い与えた本だが、ミユミは活字はまず読まないし、それはその母親にしても同じで、おそらくせいぜい表紙のタイトルしか読んでいないだろう。私は読んでもいない本を他人に贈る神経はわからないが、しかし使ってもいない茶碗や箸を、人は贈り合ったりするから、私の神経が異常なのかもしれない。

それで、私はその本を手に取って読んだわけだが、読んだ理由はリビングの一階には私の本は一冊もなかったからである。一階には子供向けの、絵本とかそんなのしかなかった。私は絵本を子供に贈ったこともあるが、そのときはやっぱり中身をちゃんと読んで、吟味してからあげた。しかし当の子供の方(幼いミユミ)は全く気に入らなかったから、吟味してもしなくても同じだった。よく絵本の裏表紙に何年の何月とか、贈った人の氏名が書かれたりすることがあるが、私自身はそういうことはしたことがなく、そこまで自己主張しなくても......とか思ってしまう。私も幼い頃本を贈られたこともあったが、そこには
「本をたくさん読んで、賢い子になりましょう」
と書かれていたが、これこそ思考停止の権化のような言葉ではないか。私は本をたくさん読むこと即ち善という考えが、人を本から遠ざけるのではないかと思う。人は誰でも馬鹿になりたいのだ。それに、私はあえて言われるまでもなく当時はじゅうぶん賢く、母からはしょっちゅう
「頭いいね」
とほめられていた。

それで私はここまで散々本の裏表紙は他でもない所有者の領域なのに、そこに第三者がメッセージを書き込むことに異を唱えてきたわけだが、それではどのように活用するのかというと、私の場合、昔祖父に将棋の本を買ってもらったとき、それは小学四年でクラブ活動が始まるときに、私は将棋オセロ部に入ったので、将棋をおぼえるために買ってもらった。また、そのとき私は学校や家で「ドラゴンラクちゃん」という漫画を連載していたから、裏表紙には主人公のドラゴンラクちゃん第一部の主人公ドラゴンラクちゃんと、第二部の主人公ドラゴンラクちゃん15世が将棋をさしている絵を書き、
「はーじまるよー!!」
とこれから本の内容が始まる旨の吹き出しを書いた。そうしたら、二人が相対する図は自然と横向きとなり、横顔がめちゃんこムズかった。横顔が何故難しいのかというと、鏡一枚では見られないからで、写真などどもポーズを求められると正面ばかりとなって、横顔のものは意外と少ない。それでも不意に撮れた横顔の写真などを見せられると、予想以上に自分が不細工に写っていて驚くのである。つまり、横顔を書くと主人公が不細工になってしまうことが多いが、実は横顔そのものが不細工なので、格好良く書けたらそれはリアルではない横顔なのである。

もうひとつの裏表紙活用例としては、小学校一年ころに、結構長めの小説に挑戦したときに、私は一日ではとても読み切れない長さだった。しかし何のアイディアもなく中断して本を閉じれば、もうどこまで読んだかわからなくなってしまうので、私は裏表紙に何ページの何行目まで読んだか書き込んだのである。それで次の日も途中までしか読めなかったから、今度はその左の行に読んだページと行を書いた。つまりいちばん左の行が最新なのであった。

風邪をひいた

一昨日に前の職場の人と飲み、その前段階からちょっと怪しい雰囲気があったがかまわず飲みまくり、二軒目ではシャンティガフを飲み、一軒目では黒霧島を飲んだ。一軒目はその人と行くと毎回行く居酒屋であり、赤いビニールのような布はいちばん手前の席が破けてガムテープで補修してある。私たちはその破けた席に案内されたのだ。店主は禿げていて気難しそうな男であり、しかし私たちは客という立場を利用し夕方五時少し前に裏口へ行って、無理やり店を開けさせたこともある。店主が私のことを顔馴染みと認識しているかはわからないが、私としてはお馴染みだった。あともうひとつお馴染みの行為として、私はその店ではいつもホッピーを頼んでいて、ホッピーはいつもホッピーばかりが余ってしまうから、その場合は
「中」
と呼ばれるものを頼む。中というのはお酒のぶぶんである。こうして文章を書いているときは私の思考は冴えているから、中は酒、と簡単に判断できるが、酒を飲みながらだと、「中」が割られる方なのか割るほうなのかわからなくなる。そもそも「中」という言い回しがどちらと指してないから混乱する。「なか」と読みます。せめて「うえ」「した」ならわかりやすい。私は意気地なしだから、そういう複雑な構造の酒は飲むことができない。焼酎だって最近まで頼むことが出来なかった。種類が多すぎるのである。その点ビールは
「生中」
と言えばなんでもかんでも通ってしまうから楽だった。これも「中」だが、これは「ちゅうぐらい」の中なのである。つまり生大、生小、とバリエーションがあるから、この単語はちゃんと意味を表明している。だから生中というのは意気地なしには優しい酒なのであった。

2軒目は知らない店だった。