意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

風邪をひいた

一昨日に前の職場の人と飲み、その前段階からちょっと怪しい雰囲気があったがかまわず飲みまくり、二軒目ではシャンティガフを飲み、一軒目では黒霧島を飲んだ。一軒目はその人と行くと毎回行く居酒屋であり、赤いビニールのような布はいちばん手前の席が破けてガムテープで補修してある。私たちはその破けた席に案内されたのだ。店主は禿げていて気難しそうな男であり、しかし私たちは客という立場を利用し夕方五時少し前に裏口へ行って、無理やり店を開けさせたこともある。店主が私のことを顔馴染みと認識しているかはわからないが、私としてはお馴染みだった。あともうひとつお馴染みの行為として、私はその店ではいつもホッピーを頼んでいて、ホッピーはいつもホッピーばかりが余ってしまうから、その場合は
「中」
と呼ばれるものを頼む。中というのはお酒のぶぶんである。こうして文章を書いているときは私の思考は冴えているから、中は酒、と簡単に判断できるが、酒を飲みながらだと、「中」が割られる方なのか割るほうなのかわからなくなる。そもそも「中」という言い回しがどちらと指してないから混乱する。「なか」と読みます。せめて「うえ」「した」ならわかりやすい。私は意気地なしだから、そういう複雑な構造の酒は飲むことができない。焼酎だって最近まで頼むことが出来なかった。種類が多すぎるのである。その点ビールは
「生中」
と言えばなんでもかんでも通ってしまうから楽だった。これも「中」だが、これは「ちゅうぐらい」の中なのである。つまり生大、生小、とバリエーションがあるから、この単語はちゃんと意味を表明している。だから生中というのは意気地なしには優しい酒なのであった。

2軒目は知らない店だった。