意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

意味を喪うを更新しました

第6回です。

帰り道で後輩に盛大に愚痴を吐いた。敦子、という女が出てくるが変換だと淳子となってしまい、淳子だと高畑淳子を連想してしまい、嫌だった。もしかしたら打ち間違いがあるかもしれないが、あったらちゃんと敦子、と読み替えてください。高畑淳子よりも決して美人なわけではないが......。

コクリコ坂から 感想

さあ書くぞ。

昨日私は先週の金曜ロードショーで放送された「コクリコ坂から」をビデオに録画していたので、二回見た。録画したのは私の子供であった。再生するとまず大写しになったチキンが円陣を組んでいる映像が流れた。CMであった。私はだいたいどの映画を見ても最近では飽きてしまうから、途中で見るのをやめるか、そうじゃなきゃ途中をすっ飛ばして最後だけ見るとかそういう見方ばかりをする。それじゃあストーリーが把握できないじゃないですか、と言われそうだが、ストーリーくらいなら把握できる。だからとにかく子供と妻はそばにいて、夏休みの自由研究とか感想文の話をしているから最初のうちは知らない女の人がどんどん出てきて勝手なことをしゃべるから話についていけなくて、とにかくお父さんは死んでいるようだ、それにしたって私は適当なところで切り上げて自室にこもるつもりだった。すぐに切り上げないのは子供に
「見なさい」
と言われるからだ。当人はすでに二度見ているらしく、しかし二度とも途中までしか見ていない、と嘘をつく。でも途中までが面白いという映画もあるのだった。私が昨日観た映画についても前半分と後ろ半分のどちらが面白いですか? と聞かれたらやはり前半分と評価する。なぜかというと後半に入ると前半の複線が回収されるからで、私はそういう仕掛けじみたことが好きではないのである。例えば子供向けアニメとか、芸人のコントとかだとまるで自分が誰かに見られていることを意識するような説明口調のセリフを突然言い出したりする。私はそういうのに遭遇すると、「説明が支配する世界モード」に脳を切り替えなければ混乱するから、切り替えねばならず、しかしそれは疲れる。例えば複線の回収にも、似た現象が起きる。どうして登場する人たちは見ている人が都合の良いような行動をとるときがあるのか、不思議である。一方で始まりのところで、お互いの人間関係とか社会的地位をまったく説明せずに言いたいことばかり言う主人公たちに腹が立つこともある。私が映画が苦手なのは、彼らにそういうサービス精神がないところにあるのかもしれない。

私は子供の頃からお話を作るのがわりと好きで、漫画も小説もやったことがあるが、ある程度のレベルを求めると、いかに説明しないか、に腐心する。お話づくりに関しては、例えば優秀なホテルマンのようにかゆいところに手が届くようなサービスをしてはいけない。しかし届かなければ客は読んでくれない。下手くそなやつはこのさじ加減が絶望的に下手だ。そして最後には「楽しんでやれたから良し」みたいなわけのわからない理屈で満足する。

しかし、もうそういう時代も終わりなのかもしれない。私は説明されないことに飽きてきた。もっと読み手を馬鹿にするような書き手がこの先は求められるのかもしれない。

「コクリコ坂」にかんしては、とちゅうから観るのがやめられなくなり、どうしてやめられなかったのか理由が知りたくて再び見た。日が暮れていた。上の子がいないから、比較的テレビは自由に使うことができた。そうしたら主人公のメルちゃんが冒頭から手際よく家事をこなしていて、私はそれに惹かれたのだった。あと、ラストで男主人公のお父さんが、それまで結構無骨な人だったのに男女が良い雰囲気になると、不意に思い切りウィンクをし、それがチャーミングだから、ある程度まで見ると、そのウィンクを見てから終わりにしたいという思いが働くので、最後まで見れるのだ。あとはミゼットがたくさん出てきて、父が若い頃ミゼットを乗り回していたらあれはハンドルを切りすぎるとすぐに横転してしまい、ひとりで立たせるのは大変だ、と言っていた。

日本の風習

私は「クレイジージャーニー」という番組が好きでよく見るが、その中のカテゴリで「外国の珍しい風習」みたいなのをやり、私は興味深く見るが、よく考えたら日本のお盆もその類ではないかと気づいた。私の地方ではお墓に提灯を持って歩いていき、墓参りの後にそこで火をつけて歩いて帰ってくるのだが、ご先祖が提灯に乗り込むので提灯は帰りの方が重くなる。提灯の火が消えるとご先祖が霧散してしまうので、火は本家の仏壇に着くまで絶対に消してはならない。もし風などで消えたらお墓まで戻ってやり直すのだが、めんどくさいので、最近では素早く火をつければノーカンとすることになった。過去には提灯そのものが焼けてしまうこともあった。子供用のミニ提灯を用意することもあったが、もう積極的に持ちたがる小さい子供がうちにはいない。祖母が生きていたころは本家の本家だとか、従兄弟のなんとかさんだとか、五カ所くらい墓を回ったが、今は本家はひとつしかない。そういえば私が子供の頃はいろんな人が訪ねてきたが、今は内々で酒を飲んで終わりである。お酒はビール以外出てこない。甲子園も見ない。鳩時計はいつのまにか止まった。本家に住む叔父は独り身で、祖母が死んでからはひとりで暮らしている。盆と正月以外は何をしているのか知らない。叔父とは子供の頃靴べらでチャンバラをした。私の靴べらは途中で折れた。

ホリエモンがかつて盆や正月の渋滞だとか、新幹線の混み具合を馬鹿らしがっていたことがあるが、それはまったく正しくて反論の余地はなく、いずれは親戚の集まりも同窓会みたくなるのだろう。だから私はこうして日本の風習について述べてもそこには主張はなく、ただ風景をつづるのみである。寺までは本家から700メートルほど離れていて、帰り道は100メートルごとに線香を置いていく、私の子供がその理由を訊ねるので、
「提灯はひとつしかなくて、小さいでしょう? だからたまに振り落とされてしまうご先祖さまもいるのです。ご先祖さまの中には赤ちゃんもいるから。そういう人が道に迷わずうちにこれるように、こうして線香を置くのです」
「でも提灯の光でわかるでしょ? あと線香はすぐ消えちゃうし」
「実は幽霊は目よりも鼻がきくから、線香のにおいを頼ってくるのです。線香は消えてもしばらくはにおいは残るから」
「死んだ後は花畑に行くとこのまえ本で読んだ」
「自分は子供の頃図書館で読んだ「高速道路にでるおばけ」という本が好きだった」

私が子供のころには「この科学万能の時代に」という枕詞がついてよく幽霊番組がやっていたが、今はあまり見ない。「おもいっきりテレビ」でみのもんたが夏休みをとると新倉イワオという男が出てきて、視聴者から投稿された怖い話を再現ドラマにして流し、そのあと解説していたが、そこで流れる怖い話は怖さと一緒に「悲しさ」があった。どうして幽霊になったのか、という背景を追うと無念さだとかは避けて通れない。今は怖い映像がよく放送されるが、ひたすらびっくりするばかりで余韻がない。戦後70年以上経ったからか。私が子供の頃はわずかだが、まだ戦争の余韻があり、怖い話の本を読むと「戦時中の......」みたいなのがたまに出てきた。

父が私の100メートル先を歩き、先頭で線香を置いていき、子供はその場所にならって自分も線香を置く。このときの父(子供からしたら祖父)の背中を、私の子供はわすれないだろうと、私は直感した。そして大人になって自分の子供ができたら、お盆の話をするのだろうと私は思った。科学万能の時代に、血のつながりは余計だ。

後輩を殴る夢を見た

お盆だからでしょうか、私の会社は夏休みはありませんし土曜日も仕事なのですが、私は今日は休みでした。今や私がシフトを組んでいるから、好きなときに休めるのです。代わりに、周りの人には別の日に休んでもらいました。有給も2日とってもらいました。こんなに休めるのは今だけかもしれません。そうしたら気がゆるんだのか、後輩を殴る夢を見ました。彼は夢以外でもトロいのです。とは言うものの、殴ってやろうと思ったことはありません。夢の中で、私と後輩以外の人が、
「またNくん(後輩です)なんとかなんとかをやらかしてたよ」
と告げ口しにきて、それが遠まわしの私に対する批判でもあるのです。私は舌打ちをして、
(いっちょ、キレたふりでもしてやるか)
と思い、席の後ろにあるロッカーを殴ってやろうとしました。これはもちろん後輩の仕事の出来なさに私が激昂した形なのですが、同時につまらない告げ口をしてきた人に対する批判でもあるのです。私は物相手なので力任せに拳をぶつけようとしましたが、ロッカーの前に透明のバリヤーが張られていて、拳がとどかない。なにやらゼリー状の物が私の拳の勢いを完全に殺してしまうのです。あるいは、私の肘間接に特殊な仕掛けが一瞬でほどこされ、私の肘が伸びないようになっている。これは夢でよくある、自転車を漕いでるのにちっとも進まない、のと同じ類の現象です。私は中学生のとき、土手で担任の音楽教師の女に追いかけられる夢を見たとき、やはり自転車のペダルの周りにバリヤーが張られ、ちっとも漕げないのです。中学生だった私が苦笑いするくらい、自転車は進まないのです。これは私が分析するにマイナス方向の好奇心、(このまま捕まったらどうなるだろう)のせいです。あるいは単に捕まりたい。

この考えでいくと、私がロッカーを殴れないのは私が物を大切にする優しい思想の持ち主だということの表れなのですが、その後当の後輩がやってきて、私が
「メール見た?」
と確認すると、
「見てないです」
と言うから、思わず私は後輩の頭を殴ってしまった。後輩の髪の毛は直毛で、だから私は草村を殴っているような感じだった。さっきはいくらやっても殴れなかったのに、後輩の頭は簡単にはたけたので、私は驚いてしまった。殴られた後輩は目をつぶって眉間にしわを寄せ、苦痛に耐えている風を装っている。彼が何も考えていないのは明らかだ。私の怒り方よりも、彼の怒られ方の方がよほど上手だった。その証拠に私はその後
(マズイ)
と思い、
「見なきゃダメじゃんかよー」
と、「じゃんかよー」のぶぶんを半笑いで言って、空気を柔らかくしてしまった。セオリーでいけば、怒ったらいけるとこまで怒るのが正解である。

「君はイケメンなんだよ」と夢の中でキレ気味に言われた

以前の職場の先輩が夢に出てきて、私の方向音痴っぷりを叱責された。私は昔から方向音痴であり、しかし私の場合は方向音痴というキャラにあぐらをかいている節もある。昔テレビ番組で一家の長が一週間でできるかできないかという挑戦を行い(例えばボールリフティング100回、とか)それをスタジオで家族や芸能人が見守る中成功したら100万円、というのがあったが、よせばいいのにまだ成功しないうちから
「100万円あったら何につかう?」
なんて質問をして、スタッフはどうにかこの挑戦が失敗に終わるよう画策する。制作費の関係でどうにか失敗してもらいたいと思っているなら、成功報酬を3万円とかにしてそっと見守ってやったらどうか。奇しくも今五輪大会が行われているが、コーチや選手の親などが、
「金獲ったらお寿司ごちそうしてあげる!」
とか言うだろうか? そんなこと言われたらまるでお寿司のために練習をがんばるみたいで選手がシラケてその場で引退とかにもなりかねない。お寿司はずいぶんデフォルメした例えだが、「(金をとったら)まず誰に伝えたいですか?」なども同じ類である。

あと気にくわないのが、父親が失敗に終わったとき、
「お父さん格好良かった」
などと涙を流して喜ぶ高校生の娘などが出てくるが、ちょっと言葉に寄りかかりすぎというか、言葉を買いかぶりな気がする。やっぱり
「ふざけんな糞ジジイ!」
と罵倒するのが見ている側もスカっとする、というのは決して本音ではないが、私は感動しなくて済むとわかるとほっとする性分なのだ。私は感動恐怖症なのである。

私はそれで夢の中で、(ああ思い出した。普段冴えない父親が、一週間で無理難題に挑む番組の話はつまり、私は方向音痴を自覚しているがあの番組のように「○○までの道、間違えずに行けたら100万円」とか言われたら、おそらく難なくおぼえて行けてしまうくらいのファッション方向音痴ですよ、ということである)
「君はイケメンなんだから」
みたいなことを言われ、
(やっぱりそうか)
と思った。中村うさぎが以前、男は髪型と眉毛に気を遣えば誰でもイケメンになる、と言っていた。だから私がイケメンでもなんら不思議なことはなかった。もっと眉毛をきりっとさせればいいのだ。髪型については、風呂上がりが良いとこの前子供にほめられた。朝はなんもセットせずにいくから風呂上がりがピークなのだ。私はよく寝癖が立つ。おそらくもう「寝癖なんて贅沢だ」と言われる年齢だ。美容師にも、
「大丈夫じゃないですかね?」
と太鼓判を押された。頭皮が柔らかさに、初めての美容師はみんな驚く。問題はストレスだ。最近怒られることも増えたが、今朝同じ境遇の人と電話して励まし合ったから大丈夫だ。
「今度飲みましょう」と誘ったら、
「でも、私が帰るのは夜9時とかですよ?」
と、やんわりと断られた

天丼

地元の天丼屋さんに家族で入ったらものすごく幸せそうに天丼をかきこむ男性がいて和んだ。その人はお蕎麦セットを頼んでいて、蕎麦もうまそうにすするのであった。私も蕎麦セットにしといて良かったと思った。私は若い頃にはよく
「美味しそうに食べるね」
と言われ、魚嫌いの人が私がブリの照り焼きをついばむ姿を見て初めて魚が美味しそうに見え、試しに食べてみたらやっぱり不味かった、ということがあった。その人は服屋で働く女性で、私はあまり知らなかったが体が弱かった。魚が食べれないから体が弱いのか。私も子供の頃は弱かったから、「○○を食べると体にいいよ」と適当なことを言われながら育ったのである。しかし特定の食べ物よりも、私は気管支が弱かったから父によく
「水をたくさん飲め、バケツで飲め」
と言われた。また粉薬が苦手だった私に、
「これが体に入るとガンダムになるから」
みたいな説得もされたことがあった。私はそれを今でも覚えていて、試しに子供が薬を嫌がったときに、
「これが体の中でプリキュアになるから」
と説得しても全く効果はなかった。私はそれだけ親の気持ちをくむ子供だったのである。というか私の子供は朝が弱く、とてもプリキュアの時間には起きられなかった。

下書きが消えた

「下書きが消えた」
と思ったが、そもそも何も書いてなかった。私はいつもだいたい最近では3時休憩のときにブログの記事を書くことが多く、休憩終わりまでに書き終えることもあるが、書き終えずに後から付け足すことも多い。書き終えなかったとき、そんなときはもっと書きたいと思う気持ちがあるから終えないわけだが、二時間三時間経ってあらためて記事のフォームを開くと、
「これ以上は書けない」
という状態になっていることも多い。そういう状態を予感して、あえて「ところで」なんて接続詞をつけたところで中断することもあるが、この手の接続詞が再開後にうまく使われた試しがない。だいたいは消して違うことを書くか、まれにそのまま続けることもあるが、そのときはたまたまつながる言葉を再発見したときで、だから中断前は10行くらいのボリュームを想定しても、3行で終わることもある。

私はこの記事を書きながら、このあとに本題が控えているような体裁になっていることに気づいたが、もちろんそんなものはなかった。この記事のタイトルは「下書きが消えた」だが、確かに一瞬そんな気がしたが、消えてなどいないことに、書き始める前には気づいていた。私はそこまで愚かではなかった。しかしどことなくこの文章は何かの前置きのような気がしてならない。

前置きの長いブログをたまに目にするが、それはやはりほどほどにした方がよいというのが私の所感である。前置きそのものが悪いわけではないが、中身がないぶん、そこに自身のキャラだとかを反映してバランスをとろうとして、全体が「やらせ」のような雰囲気となる。誰かが「文章とは中身より文体が大事」と言ったが(言ってないかも)あれはウソだ。じゃあ中身が大事なんですねとなるが、それも違い、どれも大事じゃない、というのが私の今の境地です。大事じゃないから、バランスをとろうとはならずに、野生っぽい文章が書けるのである。この場合の「大事じゃない」は、「カイジ」に出てくる兵藤和尊の「命は大事じゃない」に近い響きがある。それは全体で見ればアンチテーゼなのだろうか。しかしやはり命は大事じゃない。少なくとも私たちはかけがえのない存在ではない。「かけがえのない」という洗脳が、とれだけ私たちを苦しめてきたか。以上で私の今日の記事は終わりです。