意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

誰もがカレー名人

今さっきカレーを食べながら、カレーとはカレーライスのことでライスの上にカレーがかかっている。しかし半がけとでもいうのか、だいたいはご飯の一部にカレーがかかっていて、うまい具合に食べないと、つまりうっかりご飯に夢中になったりするとカレーだけが残って目もあてられない。私はそういえば少し前に妻に
「カレー作ったけどご飯がなかった」
と言われカレーだけすすった夜があったが、あれはわびしい。しかも帰りが遅かった私だけなかったのである。ご飯があればご飯と同じ割合で食べていきたい。カレーとは頭脳戦なのである。

私は結婚するまではカレーとご飯と同時に食べ終わるのがかなり得意で、そんな私が結婚することになって結婚式場で結婚式の段取りを決めていたらプランナーの女が
「私はカレーとご飯を同時に食べ終わることができます」
と自慢してきて、それがあまりに自信満々だったから私は
「俺もそうだよ」
と言えずに
「それはすごいね」
と驚いたふりをした。どっちが客なのだろうか。プランナーは「頭文字D」という漫画のなんとかと同じ青い車に乗っていた。私はその漫画を読んだことがないからよくわからなかった。妻は車にもカレーにも興味がなく、やがて私は結婚をしたがそのプランナーの自慢話をきいて初めてカレーとライスを同時に食べ終わるのに特別な才能が要るわけではないことを知り、それ以降カレーライスを食べるのが下手くそになってしまった。

私はなんというか几帳面なぶぶんと大ざっぱなぶぶんが気分でころころ変わり、例えば毛布という冬の布団があるが、ある年は二枚三枚の毛布の四方がきっちり揃ってないと眠れなかったが、別の年になると大して気にならず体にかぶさるぶぶんだけが二枚三枚になればいいや、という具合にしわくちゃの布団にくるまることもある。カレーも布団も似たようなものである。私は子供時代はカレーイズナンバーワンといった感じで逆にカレーがあまり好きでないとある時表明した妹の人格まで疑うほどだったが、上述のとおり、結婚してからは積極的に食べたいと思わなくなった。誰かが甘口と辛口を混ぜると辛口よりも辛くなるとかいってそういうのを興味津々で試したりしたが、今は甘いのか辛いのかも知らない。義母は牛乳が嫌いで、余った牛乳を処分するためにカレーをこしらえ、そのため随分白っぽいカレーがいつも出てきた。私はとにかく大人になってからのほうが好き嫌いが増えた。牛乳ももう何年も飲んでいない。

みすず学苑の広告は、普通の人がまともでないことをやるのではなく、普通でない人がまともなことをやってるっぽくて好ましい

朝から電車に乗ったら酔った。というより妻の車に乗ったときから酔った。あわてて家を出たせいだ。急いで革靴に防水スプレーをかけた。水のペットボトルを持って行こうと思って忘れた。私は常温で飲みたい。

途中のドアのところの広告にみすず学苑の広告が貼られていて、どうしてこのタイプの広告が他にないのか不思議に思った。何種類かの受験科目をシンボライズしたキャラクターが大小並べられ、中心はヤマトタ毛深ノミコトであった。これは何の教科の守護神ではない。あとは国gogogoというのがいた。これは国語の守護神である。理科は理科ちゃんだった。あとは忘れた。例えば世の中には笑ってしまう広告がたくさんあるが、これは笑う必要がないから笑顔を他人に見られる心配がなかった。笑顔は他人に見せるためのもので、そうでないと気持ち悪がられた。

みすず学苑はCMでよく「怒涛の合格!」と絶叫しているが、まさに怒涛とはこういうことだと広告で示されていた。怒涛というのは川の氾濫だとか溶岩が山の斜面を下りていく感じだ。例えば変なことをしてやろう、おかしなことをしてやろう、というのは山の斜面の雑草を刈り取って道にしますよ、ただしその道はくねくねしていて変ですよ、という具合であり、結局は洗練された形に近づいていくのだが、怒涛とはその逆の混沌であり、頭のおかしな人が突然自然の保護を訴え出すみたいな怖さがある。

世の中にこうした意味の分からないものがもっと増えてほしい。あと今日は汚い工場みたいなところに行った。私がそこの作業員に質問をすると会議室に作業員は二人いて、ひとりは爺さんでひとりは私と同じくらいで、爺さんは「終業5分前には必ず機械のチェックを欠かしませんみたいなことを繰り返し言い、その度に私が苦笑した。私とは、私と同じくらいの年齢の私でない人だ。私はそのあと、最初からいたよくわからない人が
「写真を撮りましょう」
と言い出してみんなで、がやがやと机をどけながら並ぶんだとき、
「俺は作業着なので写りたくない」
と言い出したので、私は
「自分もいつもは同じ格好ですよ」
とにこやかに言った。

イトーヨーカドー

昨日は昼間から飲み、帰りに妻が迎えにこれないと言うので、私は歩いて帰ることにした。妻には
「タクシーで帰る」
と言ったが、よく考えたらまだまだ早い時間でバスに乗るという選択肢もあったから私はバスの転回場に行って時間を調べた。そうしたらあと30分くらい待たなければならず、待っていてもいいなーと思ったがベンチがふさがっていたので私にしてみると立つのと歩くのだったら場合によっては歩くほうが気楽だと思い、歩いた。そうしたらいくらも歩かないうちにイトーヨーカドーの駐車場があって、そこは私が子供の頃に何十回と母が車を停めた場所であった。イトーヨーカドーは今は別の名のスーパーマーケットになり、駐車場は月極の駐車場になって無断駐車者には罰金2万円が科された。その駐車場はイトーヨーカドーの真裏にある駐車場で、なぜ真裏なのかというと、母は自分の運転技術に自信がなく、店舗の正面の駐車場なんてとても停められなかったからだ。あたりは暗くなっていて、改めて裏から建物を見上げると、よくもまあこんなに高い建物を建てたものだと思った。四階か五階建ての建物だった。よく子供の頃にみた建築物に大人になってから訪れると、その小ささに驚くというイベントがあるが、私は全く小さく感じられず、相変わらず高くそびえ立っていた。母は空いていれば駐車場の入り口のいちばんそばに車を停め、その後ろのフェンス越しに祠があったが、それはもうなかった。その向こうには昔渡辺篤史の「建物探訪」でも紹介された個性的な住宅があったが、今はみんな個性的だからどれがそうなのかわからなかった。もうつぶれてしまったのかもしれない。とにかくこの辺りはいろんな物がつぶれた。東日本大震災の影響で更地になった土地もあった。

不意をつかれたような懐かしさだった。今でも私は同じ土地に住んでいるが、買い物はショッピングモールに行くようになったし、電車も滅多に乗らない。私は子供時代のいつかまで、本当に年に30回以上はこの駐車場に母の車で来ていて、それは私の日常であり、日常とは死ぬまで続くものだと錯覚する。たとえ理屈ではそうならないことを理解していても、だ。私はよく「この日を後から思い返したら、どんな気分だろう」みたいなことを、かなり幼い頃からシミュレーションするような不気味な子供だったが、この駐車場だけは盲点で、それは誰にも雪の積もった日に誰にも踏まれていない雪のゾーンを発見したときと似ていた。

私はこの駐車場に最後に来たときのことを思い出した。それが最後かはわからないが、そのときは結婚して子供を近くのピアノ教室に迎えに来たときで、そのとき私は子供の迎えが済んだらその足で職場の人と飲みに行くことになっていた。そのため私は
「早く来ないかなあ」
と待ち遠しい気持ちになったいた。つまりあまり憂鬱でない飲み会であり、そのあと私は居酒屋で沢田研二を熱唱し、家に帰ってからトイレにゲロを吐くのだ。

怒れる者は久しからず

理不尽とは少し違うが小学校6年のときに私は漢字の出来がすこぶる悪く、それは1年生のときからずっとで、居残り勉強をよくさせられた。私は実のところ苦手なのは漢字だけで算数はクラスで1、2番を争うくらいで争っていたのは小堀というモヤシのような外見のいつも白い丸襟のブラウスを着た女子で見るからに才女といった感じだった。しかし小学校高学年になるとみんなは名前も聞いたことのないような塾に通うようになり、頭がいい、と思いこんでいたのは私だけだったのかもしれない。私は中途半端に勉強ができたから、そういうところで出遅れてしまった。親もたぶん私は放っておいても勉強は大丈夫だろうと安心していた。私には「わからない」ということはほとんどなかったが、「おぼえられない」は山ほどあった。だから漢字の書き取りを、みんなが帰った後にやらされる羽目になった。

書き取りを放課後に行っているのは私以外にも数人いて、彼らはだいたいどの教科でも居残りさせられる落ちこぼれ組で、身なりも悪く、グラスのメインストリームにも決して出てこれないような連中だった。万年体育着とか、あとJR好きもいた。クラスのメインに出るためには当時はPCエンジンが必須だった。私はお年玉などを投資してハードやソフトを購入した。だから私のような人間が彼らと行動を共にするなんて考えられなかった。しかしたとえ短い時間でも孤立することは耐えられないので表面上だけでも仲良くすることにしました。

あるとき私は落ちこぼれたちに脱走を提案した。いい加減単調な作業にも飽きたからである。居残りは教室で行われたが、いつもそこに担任がいるとは限らなかった。会議とか資料作成とか、教師にも仕事があったから、ずっと私たちにかかりきりというわけにはいかなかった。そこが狙い目だった。実は私は小学四年のときにも脱走を企てたこともあり、それは早い段階で見つかり、私たちは大急ぎで階段を駆け下りたが、後ろから男の担任が
「コラー!」
と追いかけてきてスリル満タンだった。しかし捕まることがなく、私たちはあっさり帰ることができた。そもそも時間外の活動であるから、教師も真面目に捕まえようという気はなく、「コラー!」にもどこか芝居じみた響きがあった。

そういった経験もあったから、私たちの脱走計画は途中で見つかってしまうのだが、そのときはもう校門の外にいたからそれ以上追いかけてくることはないだろうと安心していた。ところが私たちが校門から50メートルくらいのどぶ川の脇に来たところで、当時の担任の寺川先生(女)に見つかるわけだが、寺川は突然
「おーい」
と両手をメガホンにして私たちのことを呼んだ。語意の調子に怒っているところはまるでなく、先月生まれた鴨の雛を自分のところに呼び寄せようとしている風である。私たちはこの担任の予想外の態度に戸惑い、私は冷静に状況を分析するにもしかしたら何か重要な伝達事項があるのではないかと思い、周りのメンバーに戻ることを提案し、戻った。門をくぐると同時に担任の形相は一変し、私たちは居残りを投げ出したことをむちゃくちゃに怒られた。私はこれはだまし討ちだと思った。大人が、しかも教師という職業の人がそんなことをしていいのか疑問だった。一方、内心に怒りを溜めながら、あんなににこやかに「おーい」なんて声がけをしてくるこの女に、恐怖をおぼえた。

私は冒頭の記事を読んだとき、教育には理不尽さが必要なのではないか、と感じ、それは私が常日頃から思っていることだから、記事は私の思考回路を走り出させる装置の役割を果たした。私はいかに教えられる側に「こうはなりたくない」と思わせるかが、教育の肝と思っていて、それは社会とかが結局のところ理不尽だからである。しかし一方で理不尽さとは温かさであり、言ってみれば幻想を子供に見させている。私は書きながらもう一つのことを思い出した。それは中学のときに合唱際という行事があってそれの練習が放課後にあったのだが、私たちは校門のところの掃除担当で、終わってから練習に行こうと思ったらやり直しを命じられた。たぶん早く練習に行きたいから手を抜いたのだ。やり直しを命じた教師は他のクラスの体育教師で、他の掃除メンバーは班長の私に、
「合唱際の練習があるから、情状酌量を頼んでこい」
と言ってきた。私は全く気乗りがしなかったが、一応職員室に言って頼むと、
「そんなの関係ないだろ」
と一蹴された。体育教師のくせに、極めて冷静に、冷たい口調で言い放ったのが憎らしかったが、しかしそりゃそうだろうな、と納得はできた。これこそ、理不尽の対極なのではないか。

社会は理不尽、と私は書いたがこの後の話を書いてみると、むしろ社会は原則規則を守る集団であり、理不尽なのはそれに楯突く私たちだということに気づいた。私たちは社会的弱者や不幸な人を見ると社会の理不尽さを感じるが、それはどちらかと言えば理不尽さを解消するが故に生じた歪みであり、それを理不尽という風に言うのは、メディアのつくる理不尽のイメージに乗せられているだけなのではないか。

冒頭の引用記事では、遅刻ではないのに後出しジャンケンで五分前行動が追加され、遅刻を捏造され、主人公は理不尽さを感じるわけだが、そういえば私が大人になってこのような理不尽さを感じる場面は、少なくとも社会に対してはあまりなかった。それよりも「だまされた」というほうがずっと多い。あるいは「理不尽さ」と「だまし討ち」はあくまでも順番の問題なのか。

好きという感情の乱暴さ

少し前に保坂和志に会ったある若い女性が本人に
「猫が大好きなんですね」
と言ったら、それは認識不足だ、と返されたという旨のツイートがなされていて「認識不足」というワードだったか忘れたがとにかく「お前なに言っちゃってんの?」みたいな反応だった。保坂和志は小説にしろ随筆にしろ猫がよく登場し私は猫は全く飼ったことがないが、けっこう猫に詳しくなってしまった。渋谷のほうでは猫が商品のように扱われているとか(なにも渋谷に限った話ではない)。とにかくその若い女性のバカ丸出しなコメントに加えて小説家はみんなひねくれ者であるという一般論を掛け合わせれば、
「好きというのはミスリードだ」
という発言につながってもなんら不思議ではない。それでは実は保坂和志は猫大好きなのか。

一方私は長い間無趣味の状態が続いていて、瞬間的にはフットサルをやってみたりと、趣味らしい行為もするが長続きしない。下の子供が小学校中学年になるといよいよ私が何から何まで付き添う必要はなくなると、私は時間を持て余すようになった。(しかし思い出すとお店ごっことか地獄だった。私は膝の下に隠したスマホでブログを書いたりした。お店ごっこはとにかくレジがちゃちいから大人には張り合いがなさすぎるのである)それでレンタルショップに行って漫画などを借りて読むようになったが、瞬間瞬間は面白くてもずっと読みたい、続きがすぐに読みたいと思う作品になかなか出合えない。しかしそれが普通なのだと思う。近いうちにゲームでもやろうと思う。

とにかく時間を持て余し気味の私に向かって、
「でも君には本(活字)があるじゃないか」
と言う人がいるが、私にしてみるとあれはそういうんじゃないよ、という気持ちになる。そういう人からすると私が
「無趣味だ」
と表明すると驚く。私は春からけっこう仕事が忙しくなって夜も10時とかに寝るから本を読む時間がなかなか確保できない。休みの日などに小説を読もうと思ってもあまり頭に入らず、最近では、実は自分は読書が苦手なのではないか、と思うようになった。だいいち私は本を読むのは遅く、ひどいときはページを一度もめくらずに起きてられなくなったり、とおよそ読書家とは呼べない体質(?)なのだ。体質は別にどうでも良いが、好き、と言い切れてしまうものこそ浅い関係の気がする。そういうのが保坂は猫好きではない、というのに似ている。

私たちは人生においてどうして好きなものがなければいけないのか、と考えると「好き」がアイデンティティの根幹であると、多くの人が認識しているからではないか。というか私のほうの認識がずれていて、そもそもアイデンティティとは、即ち好きなものコレクションを指すのかもしれない。だから人は好きな事物に執着するし、好きなものがないと不安になる。好きでいるためにお金や労力をたくさん消費する。好きなことを仕事にするか否か論争が起きるのは、好きだという感情を少しでも維持したいと思うからだ。

しかしまあ、それもほどほどでいいじゃないですか、と思う。最近になってよく思う。好きじゃない行為をやっている自分を「自分じゃない」と評する表現を見かけるが、間違いなく人は24時間自分であり、だとしたら「自分じゃない」と突き放さずに、ただ「ああ嫌だ、早く時間よ過ぎ去ってくれ」と思うくらいにとどめておくのが良いのではないか。同じか。しかし例えば「今日こんな嫌な出来事がありました」と延々とブログに書く人がいるが、その人は文を書くのが好きなのではなく、その嫌な出来事に引っ張られており、やはりある種の関心を抱いているということになる。生きるとは、好き、嫌いに二分割できるわけないし、また、嫌いなものに蓋をしての過ごすというわけにもいかない。

冒頭の記事のタイトルで「好きなことについて書けない」とあるが、それは一見自分の好きという感情を言い表す語彙が見つからない、という風に受け取れるが、実は好きと言えてしまう程度のものにはそれなりの単語しかくっつかないということな木がする。にょきにょき。

髪伸びた

目にかかる髪が鬱陶しくなる今日この頃、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

前日放送されていたトムクルーズの生きたり死んだりする映画が録画されていたので途中まで観た。輸血されては計画がパーになるからと、女はバンバン男を殺していくのだが、しかしトムクルーズ目線で行けば確かに「ふりだしに戻る」なわけだが、女の人生は戻らない。いきなり新米歩兵を撃ち殺したら当然刑務所にする入って余生を過ごすのだろうが、檻の中で
「違う時間軸の私、がんばって」
と願うのだろうか。女は人類の破滅阻止のためにトムクルーズをばんばん殺すわけだが、そこに利己心が働いたら躊躇うのではないだろうか。トムを殺せば人類破滅の可能性は逓減するが、自分自身の破滅はその時点でまぬがれなくなるわけだから。そう考えると女の自分自身に対する信頼はすごい。私だったらどこかの時間軸の私が裏切るかもしれない、と思い、その時点で裏切っていてゲームオーバーである。女は
「私は軍人だから」
と説明するが、それだけでそこまでの境地にいけるのだろうか。

書きながら私は上記の文章でなんの疑いもなくパラレルワールドの考えを採用していたが、映画内では「時間が戻る」と説明されていたから、それを考慮するとトムを殺した時点で全宇宙の時間が逆戻りするから、女の人生もそこで終了し、記憶も経験もはぎ取られてトムの目覚めの瞬間にロールバックする。案外そう考えたほうが、現実の生まれ変わりとか記憶とかそういうことの説明もうまくいく。おそらく宇宙はものすごい回数行ったり来たりしていて、私の“今“もおそらく無限回目だ。

小さいパンツ

今日履いているパンツがどうにも小さくて居心地が悪い。新しく買ったパンツではなく、ずいぶん前に買ったものだ。ユニクロジーユーで買った。最初は別に小さいとか思わなかった。私の体型が変わったせいなのかもしれないが、同じ頃に買った黄緑色のパンツは前日に履いたがこちらはとくに違和感なく履けた。その前はピンクで、これらは二軍のパンツでここ一年くらい履いていなかった。どうしてここにきて出番が回ってきたのかと言えば、最近私は朝走るようになり、走った後にパンツを履き替える必用が出たからだ。昼間は一軍のパンツで出かけたいし、また一軍にたくさん汗を吸わせて寿命を縮めたくはない。私の一軍は6枚現在揃っており、それを月~土まで決まった順番で履いている。日はお休みなので二軍だが、たまに遠出するときなどは、どこかの曜日と交代して日に一軍で出かける。パンツというの表に出るものではないからコーディネートを考える必要がないから、ひたすら順番だけ守っていれば乗り越えられるから楽だ。ちなみに月曜に近づくほど新しい。新しく買ったパンツは月曜に履くことにしている。

そういう話をしたら子供にすごく驚かれた。几帳面だねぇと感心された。私は実はあるぶぶんにおいては突然几帳面になったりする。あるぶぶん以外は大ざっぱなことが多く、しかし両極端というわけではなく、どちらに針が振れてもほどほどなのである。

私は諦めの早い性格であり、そういえば昨日のテレビでカードの収集について特集が組まれていたが、私は子供の頃から物を集めるのが苦手だ。テレビでは「ダムのカードが流行ってますよ」と言っていて、私はいっしゅん
「お、」
と身を乗り出したら、よく聞いてみるとダムに行かなきゃもらえないという。カードをもらいにわざわざダムに行くなんてナンセンスだ。私の子供のころはJリーグチップスなんて流行っていたからてっきり「ダムチップス」なんていうのがあるのかと思っていた。しかしビックリマンもまともに買えなかった私に、ダムチップスを買うことなんてできるわけがない。ダムチップスはコンクリートの粉末がまぶしてあってとても食えたもんじゃない。そういえば昔読んだ吉田戦車伝染るんです」でダムダム人という話をヤクザが絵本で作っていてそれを仲間に読んで聞かせたら親方が
「何をやってんだ!」
と怒った。ダムダム人は自らを人間と偽って女とつき合ったが服の袖からコンクリートの粉末がこぼれて、女にダムダム人とバレてしまうのである。