意味をあたえる

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大人になるってなんでしょね

生涯モラトリアム?大人になるとはどういうことか - おのにち

上記記事の最初のほうを読みながら昔読んだ吉本ばななのエッセイで「モテる人は自足している」とあったのを思い出した。何のエッセイかは忘れたが自足とは自立と似ているが少し違っていて要するに他人に求めることが多い人はモテないということだろうか。私は当時は若くてモテたかったのでどうすれば自足するか熱心に考えた。そうしてやがて忘れてしまったが世の教育とかそういうのは自立については熱心に指導やフォローを行うが自足については重要視されていないことに気づいた。こんなことは日本だけであるというのは嘘だ。海外は知らない。


自足とは私なりに解釈すると他人に対して諦めを持って接することではないかと思う。よくある歌の歌詞に「人はひとりで生きていけない」とありそれは食べ物や家や排泄のことを考えると紛れもない事実であるがそれを信奉というかどの次元でも万能と勘違いする人が傷つき再起不能になるのである。私はひとりで生きていけない世の中をどうやってひとりで生きるかをよく考える。それは何も他人を拒絶して生きるとか我が道を行くとかそういうことではなくもっとナチュラルに自前の幸せを用意しておくということである。


記事の後半ではところで周りから見たらぜんぜん仕事ができていないのに本人は大活躍のつもりという人が出てきてこれは私のことではないかと思った。私は最初の職場では自分では活躍しているつもりで辞めるときには別の事務所の人に「主任の懐刀」と評されて今でも私はその評価を気に入っていて今でも誰かの懐刀になりたいと思うが良い懐刀が見つからない。ところが当の主任からは餞別の言葉として「次の仕事では周りの人の言うことをよく聞くように」と言われショックだった。私は以降二年か三年はその言葉を守り他人の言うことをちゃんと聞くよう心がけたがその数年は迷走しっぱなしだった。結論として私は他人の言うことを聞いてはいけないタイプだった。

壁打ち

少し前まで本を熱心に読んでいたが今は読めなくなっている。気晴らしがほしいと思い某有名RPGスマホゲームをやったがやることが多くてデータをダウンロードした時点で嫌になってやめてしまった。そのRPGとはファイヤーエムブレムというゲームで中学高校でやり込んだがやっていないシリーズのほうが多くて往年のキャラが勢揃いという謳い文句だったが知らないキャラのほうが多かった。私がテレビゲームに熱中したのは中学高校の頃で高校に入るか入って少しした頃にプレイステーションが出たがすぐには買わなかった。ファイナルファンタジーも5と6はやったが7はやらなかったら7がいちばんの名作らしい。プレイステーションを買ったのは大学に入ってからでとにかくもうそのころはゲーム熱が冷めていた。


20代になって就職して仕事先の人の引っ越しを手伝ったらプレステ2とソフトをいくつかもらった。その人は離婚したばかりでもうそんな広い部屋に住む必要もないから引っ越すのだが引っ越し先が私の家の近所だったから手伝った。家具を売るのも手伝いそのとちゅうで「腹が減った」と言うからマックに寄ったがドライブスルーが混んでいて車が並んでいるのを見てその人が
「マックで並ぶなんて馬鹿らしい」
と言って車をUターンさせて国道に戻った。そのシーンを今でもおぼえていてその店も今は更地だが別のマックのドライブスルーで並んでいると思い出す。私は辛抱強く番がくるのを待っている。それでもらったソフトの中に三国無双があって夜中に妻と妻の妹と毎晩酒を飲みながら「出過ぎですぞ」とか言いながらやった。隠しキャラもネットで調べて出した。そのうちに私は仕事をやめ2ヶ月くらい無職になりその間はドラクエ7をやった。最初は3Dで吐きそうになった。さらに最初の洞窟の抜け方がわからなくていきなりネットで調べた。それ以降は特に引っかかりもなくエンディング後の隠しダンジョンは少し味気なくかんじた。ネットが私のゲーム熱を奪ったのかもしれない。


昔にRPGを作っていた人はおそらく「やる人がもっと自由なゲームがいいと考えていてそれが発揮されたのがロマンシングサガで私は2しかやってないが何をしていいのかわからなくて結局とちゅうで投げてしまった。地底の洞窟で序盤にいきなりすごい乱暴そうな下半身が馬のボスに遭遇し相当運がないと勝てないのでスルーすればいいのだが私はそれが気持ち悪くて何度も挑むのだがやはり勝てなくて投げた。そういえば私は頭脳プレーが苦手でボスと遭遇しても例えばマヌーサで的の攻撃の命中率を下げるとかそういうことはせずに力でがしがし押すことが多い。呪文自体もいざというときのために出し惜しんで結局ほとんど使わずにゴールすることが多い。ドラクエ5に溶岩魔神というのがいるが私は昔これに何度やっても勝てなくて何度目かに挑んだときも主人公が死んでスラリンだけになったときにもうダメだと思いAIにまかせて投げていたらAIのスラリンがメダパニを唱えて溶岩魔神が混乱し同士討ちを始めて見事に勝った。しかもスラリンはリレミトも使えたから町まで帰ることもできて値千金だった。

有給2

それで有給だが今の会社の私の部署に今の私の上司がやってきて一週間くらい私たちの仕事を観察した後に正確にはとちゅうだがじゃあ飯でも食いに行こうかとなって私の職場はそういうのに参加しない人ばかりなので結局私ともうひとりが行った。その席で私は有給休暇の申請で「私用」と書くのはおかしいと発言しこれはどういうことかというと私の会社では有給休暇はシステムで申請することになっていて申請の際に理由を書く欄があってこれがおかしいですよと言いたかったのだ。そうしたら今の上司と前の上司が
「空欄でも行けるよ」
と言い私は振り上げた拳が虚空に舞うという結果になった。以来有給申請の際理由はブランクにしていたがいつだったかシステムのバージョンアップがありそうしたら理由の欄が必須項目となって再び私用と書くことになってしまい今に至る。


私は今まで早く帰れる仕事ばかり選んでいたせいか有給申請のさいにしつこく理由を訊かれたり断られたことはなかった。今の会社もあまりうるさくないので申請を忘れて後から出したら怒られた。出すと言っても私の今の上司はどこか違うところにいるから私がいようがいまいがあまり関係ないのだ。私もいい加減なので私は私で承認する立場だが後から出す人がいる。後でも先でもいないことには変わりないから頓着しない。そういうもんだと思ったらそうじゃない企業もたくさんあるようだ。私の会社はドラクエで休む人はいないがよくライブに行くから休むという人がいる。ライブはチケットの日にちは変えられないから休む理由としては妥当だと思う。

有給

有給にドラクエがみたいな記事をいくつか目にしてそういえば私の同僚というか部下が「今度の休みはドラクエやります」と言っていたがそれは端から休みだった。有給だったが私が消化率を上げたくてシフトを組むときに一緒に有給も入れてしまうのだ。もちろん変えてもいいし休まなくてもいいというルールだ。そこにドラクエがあたったというだけの話で「俺もドラクエやりてーなー」とは言ったが私が買ったのはガンタンクだった。しかも組み立てるのは私の子供で私はひたすらプラモの四角い枠からニッパーで切り離すだけの役割だ。最初のうちは何の考えもなくぱちぱちやっていてささくれだけカッターで切り落としていたが段々とささくれの下が白っぽくなるのが気にくわなくなってきた。最初のうちは塗装がはげるから白くなるから仕方がないと思ったらどうやらプラモデルというのは型に流し込む段階でもうそのカラーになっているらしくどこを切っても金太郎飴みたいに同じ色で白くなってしまうのは引っ張ったり強い力が加わったりしてなる現象のようだ。

ガンタンク

7月最後の日曜日妻は朝から美容院へ出かけ昼前に起きた子供が「することがない」と騒ぐのでガンタンクを買った。去年か一昨年の正月にガンダムのマスターグレイドのプラモを一緒に組み立ててから私の子供はプラモデルが好きになっていた。それは友人の結婚式の引き出物でもらったものでもちろん列席者全員がガンダムをもらったわけではなく厳密にはカタログギフトをもらいその中にガンダムがあったのである。ガンダムと赤いザクがあって少し悩んだがガンダムにした。私はガンダムが好きだがガンダムのアニメや映画は見たことなく単純なデザインの比較においてガンダムの敵役のモビルスーツは大味な気がする。それでもザクはまだいいがドムとかゲルググとかフォルムが単純でいつもプラモデルを買おうと思っても作り応えがなさそうで躊躇してしまう。しかしこの躊躇が罠でそんな風に考え出すともうどれも子供だましのような気がして買う気がなくなってしまう。ガンダムは逆に新型になるほど小林幸子の紅白の衣装みたいに景気が良くなって節操がなくなって嫌だ。ストーリーを知っていればひとつひとつの角や穴に意味があるから見え方も違うのだろうが。


私としては初代ガンダムが基本であれよりも単純でも複雑でも気に食わなくなってしまう。ガンダムは上半身と下半身とそのつなぎのぶぶんが離れる作りになっていてそれぞれを輸送する飛行機や戦車があって私はそういうギミックがすごく好きだ。BB戦士というかなりちっこいサイズのプラモデルがあったがそれが律儀に上半身と下半身が分かれたモデルもあってそれは本当に気に入っていた。私はちまちましたものが好きだった。


私はガンダムトランスフォーマーが好きな子供だったが大人になった今でもそれらが残っていることに驚いている。ドラクエくにおくんもまだある。小学生のときに私は友達と「ドラクエ10が出るってよ」みたいな冗談を言い合いそれはあくまでも冗談だった。私はクラスの知識派だったので「ドラクエというブランドは残るかもしれないが馬鹿みたいにタイトルの後に連番を振るのは6か7で終わりだ」みたいな論を展開した。根拠はなかったがそれっぽく言えば反論する人はいなかった。その頃は4が出て少したった頃で5が出るとかでないとか言っている時期だった。

バリカのソファー

一企業の駐車場と公道の境界に引かれる鎖およびそれをつなぐ鉄柱をバリカという。私の勤め先では最後に出る人が鎖を張ることになっているのだがそれは車通勤の人に限られるのだが今日は私が最後になったから閉めた。外は雨だったので傘をさして閉めたが大粒の雨だったので濡れてしまった。その前にすでに建物から車に行くまでに濡れたのでもう関係なかったがそれでも私は傘をさした。傘はもう10年くらい使っているものでどういういきさつで手に入れたものか全くおぼえていない。先日妻にカビが生えていると言われた。新しい華やかなものがほしいが傘を使う機会がもうほとんどない。私が一生でもっとも傘を使ったのは小学生の時でカッパを着用したのは中学生の時だ。中学は家から5キロくらい離れていたから自転車通学で雨が降ったらカッパを着用することになっていた。朝から雨が降ると玄関でカッパを着て学校に到着すると自転車にカッパをかけて校舎に入った。上着の肩のぶぶんをハンドルにかけて全体をよく伸ばしズボンは後輪の上の荷台にかけた。盗まれるかもしれなかったがもうカッパを脱ぐだけでひと仕事でもうどうでもいいと思っていた。たまに鍵をかけ忘れることもあった。そういう自転車を見つけ鍵を差したままロックして影から見守るというドッキリを仕掛けたことがあった。焦る人をひとしきり見た後で「てってれー」と登場するのである。大体は「焦ったー」とか「なんだよー」みたいな反応だがたまに怒り出す人もいた。確かにイタズラしたのはこちらだが見方によっては私たちがぬすまれないよう見張っていたのだから感謝こそされ怒られる筋合いはないと思った。下駄箱が二階にあって外階段の影から私たちは自転車の持ち主を息を殺して待っていた。外階段は合唱祭の季節になると朝昼夕の休み時間に歌の練習が行われた。後列の人が一段上に上がりそうすると舞台のようになったからである。やたらと合唱の盛んな学校で教師たちは自分のクラスが良い成績をおさめるよう熱心に応援しその熱心さでひとつの義務を果たしているような気持ちになった。私の担任は三年時は音楽の先生だったので割と冷ややかであった。当時まだ20代の女だったが可愛くはなく私たちはよく究極の選択と称してこの女教師と理科のA教師(男)の性器を舐めるならどっちかと考え大いに悩んだが少し背の高い猫背の名倉くんが女教師のほうでしょ? と何事もないように即答したので私は名倉くんは大人だと思った。


※タイトルの「バリカのソファー」は吉本ばなな「マリカのソファー」のもじりです。

すべてが思い出に変わるように

この前織田信長の家臣団の本を読んだが昨夜ふと自分の中で桶狭間の戦いがリアルにかんじた。桶狭間の戦いは諸説あるみたいだが私が最初に読んだのは進研ゼミの小5の付録で日本史のざっくりとした漫画があってその中の桶狭間のシーンが雨だったので私のイメージは雨だ。その雨が昨夜私の中でリアルになって馬の手綱を握った親指の付け根のくぼみに雨水がたまる様子白くけぶる森の様子が過去にその瞬間があったと確信するリアルさだった。過去が確実にあるというのはとても奇妙で時代のせいなのか過去は虚構だというほうがしっくりくる。妻と子供たちが鋼の錬金術師を見ていてそこで鎧の弟が敵に
「お前は確実に存在するのか。過去は兄貴が作ったんじゃないか」
と惑わし弟はその後病院の廊下でうなだれるのであった。やがて何か兄貴にそれっぽいことを言われて立ち直るのだが私はそのシーンは見なかったので知らない。あと中佐が公衆電話の前で撃たれるシーンがあって私は洗い物をしながら横目で見ていただけだからちゃんと見なかったら後から中佐が死んだか気になって調べた。私は最近はアニメに限らずストーリーそのものがしんどくなっている傾向だがアニメのこの人はこういうキャラだからこういう言動なのですよみたいなのが鬱陶しい。なんかもっとブレブレでも良いのではないか。ブレブレといえば私の中では「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」だが少し前に読んだのにストーリーが奇妙なほど思い出せない。世界が裏返るのだが完全な裏返り方じゃなかった気がする。最後まで読まなかったのかもしれない。


「確実に存在する過去」というのはしかし実に奇妙だ。一方ここ数日はシュメール人の本を読んでいるがわずか4000年ほど前は粘土板にへっこみをつけめ誰それが王になったとか記していたのだ。粘土板は今で言うところの紙で一塁ベースみたいなのが山積みになって露店に売っていたのだろうか。その裏で一日中粘土をこねて平らにしてチーズスフレみたいに書きやすくした人がいるということだ。その瞬間が確実にあったというのだから奇妙だ。私が子供の頃は炭を紙にこすりつけその濃淡の組み合わせで文字としたが今思うと極めて原始的な行いであった。炭坑は今日本にあるのか知らないが鉛筆でものを書くなんて炭坑で穴を掘るのと大差ない行為だ。炭の周りには木が巻かれていて私たちはあるいは木こりにでもなったつもりだった。