夜中に目が覚めた私は、とても弱気になっていた。テーブルの上に出しっ放しになっていた2リットルのお茶のペットボトルをコップについで何杯か飲み、それから何をしていたか、よく覚えていない。テレビをつければ今はW杯中だから、私はサッカー観戦が嫌いではないから、楽しめることはわかっているが、電源を入れる気は起きなかった。
私はひたすら自分の人生を悔いていたし、父母がやがて死んでしまうことが悲しくてしかたなかったし、時間がどんどん過ぎ去ってしまって取り返しがつかなくなってしまうことが恨めしくて仕方がなかった。
私は何年か前から自分の死というのは、痛いとかつらいとかしんどいというのはあるけれど、自分がなくなってしまうのだから、そういうのもどこかの時点で完全に消え去る、それよりも他人の、家族や大切な人が死んで行くことの方が余程つらい、と考えるようになったが、そういう考え方は、なんの慰めにもならなかった。
やがて私は、自分の死も他人の死も別々のものではなく、誰かが死んだら、自分の何分の1かも、死んだことになる、みたいなことを考えた。
それから眠くなるまで本を読もうとおもい、途中で地震があり、やがて眠くなったので寝た。
翌朝はそういう暗い気持ちはなくなり、昼休みには昨夜の出来事を、冗談ぽく同僚に話したら「病んでるね」と笑ってくれた。