御巣鷹山の航空機墜落事故から30年、という記事が今朝の読売新聞一面に出ていた。今朝とは2015年の7月25日である。つまり今日である。御巣鷹山と書いても通じる人には通じるだろうが、御巣鷹山は大地が盛り上がった山という部位の名称なので、そこに航空機事故のイメージを全部込めてしまうのは、礼儀に欠けるのではないか、と思った。しかし私は上野村の慰霊の園という場所には2回行っているので、こうやって「御巣鷹山」と気安く呼ぶ資格はあるような気がする。特に私の親族や知り合いに関係者がいるというわけではなく、興味本位で訪れただけである。大変静かな場所だ。
日航ジャンボの墜落事故が起きたとき、私は5歳だった。妹は3歳下なので2歳で、6歳下の弟はまだ母の腹の中にいた。弟はそれから約1ヶ月後に生まれたので、母のお腹の中の弟はかなり大きかった。その上空を、墜落寸前の日航ジャンボが通過した。かどうかは、正確にはわからないが、当時はかなり混乱していたらしい。父の話では、最初は秩父に落ちたと思われていた。それから浅間山じゃないかとなって、結局御巣鷹山だった。何もわからなかったのだ。
新聞記事では、事故で家族を失った男性の話が出ていて、その人は当時中学生で、部活動があったから家でおばあちゃんと留守居することになって、結果的に難を逃れた。部活動のない人たちは、親類の家に行くために飛行機に乗った。両親と一番下の妹が犠牲になり、その上の妹は助かった。男性はそのあとに下の妹が生きている夢をよく見て、寝ている7歳の妹の頭を撫でながら、「死んだなんて嘘だったんだ」という夢を頻繁に見たという。しかし起きると死んでいる。
目が覚めるために絶望の底に突き落とされるのならば、夢は残酷なものなのだろうか。記事は新聞記事なので、「絶望」なんて陳腐な言葉は使われていなかったが、私たちは、そういう風に読み取りたくなる。
私も数年前に勤めていた会社の時は、似た夢を見た。夢の中で、私は今の会社に勤めているというのは全部夢でした、ということに気づくのである。しかし覚醒すると、その気づきこそが夢で、現実は真逆であることを、気、づ、か、さ、れ、る、のである。目が覚めた私が絶望的な気分になったかどうかは、今となっては思い出せない。人生でつらい場面がな訪れると、一気に視野が狭くなる。それがやがて過ぎ去ると視野も元通りになるが、振り返ったときにそこへは容易に近づけなくなってしまうのである。私は軽はずみにも、
「あのときああすれば、もっと頑張れたはずだ」
とか思ってしまう。
7歳の妹が死んだ、となれば私はそこに自分の娘を重ねずにはいられない。おかげで朝から重苦しい感情に支配された。朝刊は朝届くからである。私はそういうときに決まって考えるのが、「私が同じ状況になったら堪えられるのか」という自問自答で、今までは「堪えられる」という答えを持つことは浅はかではないかと思っていたが、今朝はそうではなく、
「私にはとても堪えられない」
と思うことこそただの自分の願望であり一種の自己顕示であり、それによって遺族、当事者を傷つけるのではないか、という考えに至った。「つらい現実を受け入れたあなたは○○(ほめ言葉的なもの、適当なのが思いつかないので各自で埋めてください)」というのは、表面では寄り添うふりをしながら、本音では相手をかなりはっきりと拒絶している。「私にはとてもできない」が悪意に満ちた言葉であることを悟った朝であった。チュンチュン。
そんな気持ちで仕事へ行き、休み時間に保坂和志「未明の闘争」を読んでいたら、保坂さんはのんきに愛人と横浜でフカヒレスープなど飲んでいたので、本当にこの人は無神経なんだな、と思った。小説なので保坂さんではなく、星川さん、なのだが私は脳内で保坂さん、に置き換えて読んでいる。どっちにしても私は保坂さんとは友達でも知り合いでもないので、フィクションはどこもほころばないし、友達でもやはりほころばない。全然関係ないことを思い出してしまったから不本意ながらも書くが、以前「センチメントの季節」という漫画を読んでいたら、男がようやく教え子の女が性器を見せてくれると言うので、下着をはがしてみたのだが、そのときの心の声が、
「彼女のそこが、ほころんで見えた」
となっていて、ミスマッチな気がして印象に残った。それは、男は相手が処女だとばかり思っていたのが、実はそうではなくて、結構な数をこなしている、というのがあったから、そこからきた表現なのであるが、性器を見た後にそのことを知ったのか、逆なのかは忘れた。
それで保坂と愛人なのだが、フカヒレスープを飲んでいると、隣の席が育ちの良さそうな小学校4年の女子とその両親、おばあちゃん、というメンバーで、保坂の愛人である鳴海は、その家族連れにガンを飛ばし、さらには自分の友達の話を聞こえるような声で話す。その友だちというのが、めちゃくちゃ数学ができる女の子で、遊びに行くときもバッグに問題集を忍ばせるくらいの数学好きで、数学の成績だけは、学年でぶっちぎりだったが、処女喪失も学年でいちばんだった。中学のときの話だ。そして大学を出たら、あるいは在学中立ったかもしれないが、ソープランドに勤めるようになり、仕事の合間の控え室でも、相変わらず問題集を解いている、という話なのである。
私はそこを読みながらすっかり悲しくなり、朝の御巣鷹山がなければ、もしかしたら保坂サイドについたのかもしれないが、私はすっかり小4女子に肩入れしてしまい、いい大人があてつけるように下ネタ話をするなんて最低だっ、とか思った。保坂も保坂で、どうして数学好きが同時にセックス好きなのか理由を知りたくて鳴海に
「写真を見せて」
と下品に頼み続けるので、鳴海に対しても失礼な話だ。私は例えばこの小4女子が算数が大の苦手で、この苦手を克服するためには、早く処女喪失しなければならいとか思い込んだらこれは事である、と気が気でなかった。