意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

理想の文章とは

今日はタイトルの通りのことを書こうと努力してみるが、これはかなり古い記憶のエピソードであるからところどころ記憶が混同しているが、私が通っていた小学校は農村地帯にあったため、秋になると収穫祭というものが行われていた。私はその当時、また、つい最近まで私の住む地域とは昔から変わらないが、それほど田舎ではないと思っていたが、文章に「農村」と出てくるとやはり田舎であると自覚させられる。農村という単語は私の判断で選ばれたわけではなく、実は小学校の近所には「農村センター」と呼ばれる施設もあったので、やはり紛れもなく農村なのだ。

農村センターとはどのような施設なのか、私にはよくわからない。体育館があり、今でも安い料金でバドミントンができるそうだ。バドミントンも農村になんの関係があるのだろうか? 私が無理に仮説を立てるなら、農作業に従事し続けると腰が曲がってしまうので、それの予防のために自治体がバドミントンを推奨したのが始まりだ。バドミントンは羽根が思いもよらないところに飛んで、鋭いスピードで頭上を越そうとするものなら、脊髄反射で、人はとっさに背伸びをして腕を伸ばし、羽根に食らいつこうとしてしまうのだ。それが腰に実に良い、という具合だ。しかし私は何度かぎっくり腰をしたことがあって、必死にジャンプして無理に体を伸ばす姿勢を想像すると、むしろ腰を悪くしてしまいそうで気分が悪くなる。最近では、朝のテレビ体操の、ラジオ体操が始まる前の体操で、レオタードを着た数人の女が腰を素早く前に後ろに倒す運動を見るだけでめまいがしてしまう。また、私が今小学生なら小学生は無知だから腰なんかどんなに曲げたり伸ばしたりしてもぶっといゴムみたいに元どおりになると信じるが、今ならちょっとでも刺激すればたちまち筋肉に亀裂が入って私は寝たきりになってしまうだろう。

農村センターに話を戻すがそこはかつてミニ図書館もやっていた。玄関を入ってすぐに階段があり、そこを上がると図書室があって、私はその時小学1年か2年だったが、当時はカブトムシが好きだったのでカブトムシの絵本を借りたことがあった。カブトムシについては小1の夏休みでは迷うとなくカブトムシを自由研究のテーマに選び、確か2匹か3匹いたが、全てが休みが開ける前に死んでしまった。小さな羽虫みたいなやつのせいだった。そこで私の父はその死体を解体して紙に貼り付けてビニールをかけて即席の標本とし、それを模造紙の左上に貼り付けた。おかげで新学期が始まって自由研究の模造紙を学校へ持って行く際、他の子は模造紙を丸めていたのに対し、私はそれを折って持って行かなければならなかった。また、その標本には胸と腹の部分はなく、色鉛筆で書いたイラストで代用され、その理由は父いわく
「胸と腹は腐るから」
とのことだった。私はこの文句がとても気に入り、数日後の発表会の際には指示棒を持ちながら得意げに胸と腹は腐る、と主張した。また自由研究の項目の中には「わかったこと」という項目が後半にはあり、その中で「カブトムシは空を飛ぶ際には角を通常よりも角を立てる」というものがあったが、これは実際に私が家で家族と夕食を取っていると虫かごを逃げ出したカブトムシが羽根を広げて飛び始めて電灯の下を旋回し、それを見た母親が
「角が上向いてる」
と指差して大声を出し、見てみると確かに上を向いていて、これは飛んでる時にはどこかに角をぶつけたら危ないから上に向けるんじゃないかと、そのあと私たちは話した。そんなエピソードがあったものだから、私はこのカブトムシの角については発表会の限られた時間の中ではぜひ強調しておきたいと思ったが、いざ指示棒をそこへ向けてみるとなんて言っていいのか、良い言い回しが思い浮かばない。気持ちが前のめりになってしまったせいだ。仕方なく
「1番よくわかったことは……」
というよくわからない言い回しになってしまった。私はその時まだ小1であったが、こんな言い方はないよな、と歯がゆい気持ちになってしまった。しかし今になっても良い言い回しというのは思い浮かばず、仕方なく頭からこのエピソードを書いている。良い言い回しなど、はなから存在しないのだ。

ところで農村センターで借りたカブトムシの絵本であるが、私はきちんと返したつもりだったが、それから数年経って5年生になったころに突然電話がかかってきて母がその電話に出ると、私が借りている本を返していない、と言われた。私は正直にカブトムシの本は以前借りたことはあるが、それは返した気がするが返していないかもしれない、と母に聞かれて答えた。母は再び受話器を耳にあて、
「カブトムシの本は借りたことがあると言ってるんですけど」
と喋っていた。つまり、農村センターが言ってきたのは別の本であるのだな、と私は思った。私はすぐに、私は以前いじめられていたことがあったから、その一環として、誰かが私の名前を騙って本を借りたのではないかと思った。しかし電話が終わった後、私はそのことを言わなかった。母はその後私の家には南側に掃き出し窓があるが、その窓と窓の間の柱の内側の廊下に本棚があるのだが、その本棚には主に子供用の本が置かれ、私の家にはたくさんの本があり、またその本棚にはもうすでに読まれなくなったものの捨てずに取ってある雑誌などと平積みにされているので、母はその中に農村センターの本が紛れてしまったのではないかと思い、探し出した。時間は夜であったし、本棚は部屋と部屋の間の光があまり届かないところにあったので、母は暗いところで薄い冊子の細かい字のタイトルをひとつずつ目で追っていった。私はそんな母の横顔を眺めていた。私はもしかしたらもっと強い調子で、
「農村センターから本を借りたのは1度きりで、それはきちんと返した」
と主張すれば、母はこんな時間にほこりまみれになりながら、本を探すことはなかったのかもしれないと思った。私には妹と弟がいるが、妹はその時もう小学校であるが弟はまだ幼稚園児で、そんな時弟は母が暗いところにいて、不安でなかったのだろうか。こういう記憶の中では、弟や妹はいつも存在せず、とても不思議だ。