意味をあたえる

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幽遊白書と功利主義

タイトルに功利主義、と書いたがこれから書くことは功利主義とはあまり関係がなく、そもそも私は哲学を勉強したわけではないので、功利主義をちゃんと理解していない。ただ前回の記事に出てきたトロッコ問題で、1人側を選ぶのが功利主義の人、くらいの認識である。

昼間の記事を書きながら、あるいはかき終わった後に、私は幽遊白書のあるシーンを思い出した。幽遊白書とは漫画がで、冨樫という人が書いていて、私は冨樫のファンだ。冨樫、と書くと「冨樫」というペンネームだと思ってしまいそうだが、下の名前もちゃんとある。私はいつも「冨樫、冨樫」と呼ぶから、下の名前を忘れてしまったのだ。

それで、思い出したシーンなのだが、ある日主人公の浦飯幽介が、仲間とともに暗黒武術会に参加する、そこで宿敵である戸愚呂兄弟の弟と戦うのだが、これが妖怪でめちゃくちゃ強い。実力差がありすぎる。そこで幽介の師匠である幻海師範があるとき雨の中洞窟の中に呼び出し、
「これから弟子であるお前に、最後のパワーを伝授する。これを受ければ勝てるかもしれない。しかし、これを授けたら私は死ぬ。外で待ってるから、ちょっと考えて、決めたら外に来てくれ」
と言うのである。書きながら思い出したが、なんで考えろと言ったのかというと、力を受けた幽介自身も死ぬかもしれない、という条件もあったからだ。ちなみに戸愚呂というのは、魔界と人間界をつなぐ穴を開けようとしていて、もし穴が空いたら妖怪が人間界になだれ込んで、人間がみんな食べられてしまうから、幽介は、一応人類の命運を背負って戦うのである。この条件が、なんとなくトロッコ問題に似ている気がしたのである。もはや、猫も杓子もトロッコ問題である。

そして、案の定幽介は散々悩んだ末に、
「やっぱ、できねぇよ……」
と断るのである。これは師匠を殺してまで力を手にしたくはない、という意味の「できない」である。すると予想に反し、幻海師範は、
「合格!」
と言うのである。実は、力を授けたとしても幻海は死なない。覚悟を確かめたくて、嘘をついたのである。だが、覚悟を確かめるのなら、
「やります」
が正解な気がするが、どうなのか。だが、もっと奇妙なのは、
「すぐに「できない」と答えても不合格だった」
と言うのである。理由は幻海師範がそういうタイプが嫌いだからである。どうして悩んだ末に「できない」でなければならなかったのか。けれど、こうやって書き出してみると、なんだかあまり奇妙な感じがしなくなってきた。これが物語の力なのだろうか。

ちなみ、「できない」と即答するタイプとして、私はワンピースのルフィが思い浮かんだ。ルフィでなくても、少年漫画の主人公は誰でも仲間を犠牲にはできないのだ。そうなると、この幻海の「即答するタイプは嫌い」は少年漫画に対する冨樫の皮肉のような気がする。躊躇した末に「できない」と言わすのは、やはり幽遊白書も少年漫画だからである。

ちなみに冨樫はこのあとのハンターハンターという漫画でもお婆さんが主人公一行に、

「死にそうなのを助けるのなら、A.恋人B母親、どっち?」

という質問をしてきて、これの答えは「沈黙」つまり何も答えないことが正解、というのがあって、なんだかすっきりしない感じであるが、冨樫はひょっとしたら、トロッコ問題が好きなのかもしれない。