意味をあたえる

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インターネットはテレビをこえられないか または格差を生むか

日頃、毎日スマホをいじっているが、不便なのはご飯を食べながら操作ができないことである。読みたいページを開いていても、下まできたらスクロールしなければならないからそこで箸を置かなければならない。

おそらく探せば好みのスピードでスクロールしてくれるアプリなりガジェットなりがあるだろうし、逆転の発想的な
「そもそもスクロールの必要すらない」
みたいなのもあるかもしれない。あるいは、動画を見ればいい、という意見もあるだろう。動画は終わりまでは勝手に再生される。私はあんまし動画は見ないが。しかし、いずれにしたってまずは見たいページを見つけなければ始まらない。しかしインターネットは読み込んだページが必ずしも面白いとは限らない。

もちろんだからと言って、テレビが面白いと主張するつもりはない。が、テレビはどの程度のつまらなさなのか、イメージがしやすい。それは出ているタレントのおかげ、ということもある。タレントの役目とはそういうことだったのか! と今気づいた。もちろんインターネットにだってタレントはいるだろうが、私程度のリテラシーでは、なかなか目的のタレントを見つけられない......。

リテラシー、とは言い換えればやる気のことで、私はそんな風に考えたから、タイトルのようにインターネットは格差を生むのか、と思った。インターネットはやる気のある人、根気のある人はどんどん貴重な情報を手にすることができる。ある意味ではフェアな世界だ。一方テレビはチャンネルを合わせるという最低限の動作で、みんな同じ情報を手に入れることができる。平等である。フェアと平等の言葉の違いを説明するのに、インターネットとテレビを用いると、わかりやすいことがわかった。

ところで話は変わるが、スマホをいじりながら食事をするのはマナーが悪い、というのは多くの人が同意するだろうが、テレビのほうはどうなのだろうか。私が子供のころはそういうのをよく聞いた。今はスマホのおかげで、うまく死角に入ったのかもしれない。だからスマホから注意をそらすためには、食事をしながらエクササイズをする。咀嚼の合間にヨガをする、というのが流行すればいいだろう。そう考えるとインターネットを普及させたのは、テレビの立場を優位にさせたい人たちだったのかもしれない。

ところで私は食事時はもちろん、普段も滅多にテレビを見ない。もちろん家族がいるときはずっとつけっぱなしで、おかげで私はKis-My-Ft2の番組ばかり観ている。いつのまにかメンバーの名前もフルネームで全員言えるようになった。覚え方のコツは、グループの名称が各自の名前の頭文字に対応してあるので、それを足がかりに覚えていくことです。これは今に始まった話ではなく、昔は妹がジャニーズが好きで、特にKinKi Kidsが好きで、曜日は忘れたが昔は夜6時半から「アイラブジュニア」という番組がやっていて、そこには嵐になるまえの櫻井翔くんが出ていて可愛かった。関ジャニ∞渋谷すばるくんは、Myojoという雑誌ですごく注目されていた。それなりに目立つ人は他にもいたが、そういう人は辞めていったり、捕まったりした。

さらに昔、私の父母が新婚の頃、家にはテレビがなかったそうだが、それは2人ともテレビを観ないからいらない、という理由だったが、祖父が「それでは夫婦喧嘩したときに気まずいから」といってテレビをプレゼントした、というエピソードもある。