意味をあたえる

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震災のこと

昨日の夜妻がとつぜん
「さゆり先生、結婚するらしいで」
と教えてくれた。さゆり先生は、ネモちゃんがトマト組だったときの担任である。年長組はほかに、パイン組、カボチャ組、スイカ組があった。これらはすべて私の創作である。最初は「ブルトーザー組」とか考えたが、ちょっと幼稚園ぽくないので、不採用とした。ちなみに妻も関西弁で言ってきたわけではない。

私はさゆり先生の結婚に衝撃を受けた。しかし、その理由がわからない。私はさゆり先生に恋愛感情でも抱いていたのだろうか。さゆり先生は茶髪で髪先は傷んでいて、それを頭頂部にひとつのお団子にし、まとめている。幼稚園の先生はよくそういう髪型をする。さゆり先生はさらに、眉毛が細くて声は常にかすれ気味で、愛車のダッシュボードには、ヒップホップのCDがぎっしり詰まっている。あまり私の好みではない。私は昔は、お嬢様系が好きだと、友人に言われた。モー娘で言えば、石川梨華が一番だった。二番や三番はいない。それと、モー娘以外では、細川直美が好きだった。細川直美タモリも好きである。あと最近の人だと、山本梓が好きだ。ちっとも最近のひとではない。

さゆり先生は、ネモちゃんたちを送り出したあと、再び年長のクラスを受け持った。そのため、親たちのあいだでは、そろそろ結婚退職するんじゃないかと、噂になっていた。私は、ぜんぜん知らなかった。そうすると、今受け持っている子たちが最後になる。私は、せっかくなら、去年に辞めてくれればよかったと思った。そうすれば、ネモちゃんが最後の生徒になり、記憶により深く残ったはずだ。その親としての私の記憶も同様だ。私は、去年の大雪の少しあとの三者面談で、初めてさゆり先生とまともに会話をした。私は、丸井で買ったカーディガンを着ていった。座らされたのは幼児用の椅子で、私のお尻ははみ出した。ネモちゃんは愉快そうに私を見ていた。

そのことは、以前別の記事でも書いた。

一方でやはりネモちゃんは去年のうちに卒園して良かった気もする。秋の運動会では、直近に卒園した園児が、一年生となって招待されてやってくるが、そこにはかつての担任がいて、ちょっとした同窓会のような雰囲気になるのである。しかし、さゆり先生がこの春で辞めたら、園児たちはがっかりするかもしれない。もしかしたら、運動会だけ、スペシャルゲストとしては登場するのかもしれないが、もう先生ではないから、先生もよそ行きの顔でやってきて、もしかしたらエプロンなんかもしないで、上下真っ黒の自前のジャージでやってくるかもしれない。そうしたら、やはり園児たちはがっかりするだろう。髪だってばっちりドライヤーをあててくるかもしれない。

ところで、ネモちゃんが幼稚園に入ったのは、震災のちょうど1ヶ月あとだった。私たちはスーツを着て入園式に出かけた。その幼稚園は私と妻が通ったのと同じところだった。園長も、私たちのころから園長だった。随分と年をとったはずだが、私にはあまり変わっていないように見えた。近所の人が、
「子供の相手をしてるから、若いよな」
と言った。私と園長は、同じ地区に住んでいる。園長は、ソフトボールが得意だ。
「もし大震災が、お子さんを預かっている最中に起きたら、ある程度落ち着くまで、迎えにこないでください。それは、園の中にいるほうが、ずっと安全だからです。ですから、まずは親御さんが自分の安全を確保し、それから、ゆっくりと、迎えにいらしてください。それまでは、責任を持って、しっかりと預からせていただきます」
マイクを持った園長は、そう挨拶をした。私たちは子供たちの親で、親というものは紛れもない大人であるが、やはり親としてはまだまだ新米なんだと、聞きながら私は思った。しかし、それでも、私の家は幼稚園からは近所なので、すぐに歩いて迎えに行くだろうと思った。

不意に「あーん、あん」という絵本を思い出した。あれは、幼稚園の主人公が、ぎゃーぎゃー泣いて、涙で世界が溢れかえって、みんなが金魚になってしまう話だ。そこに母親が網を持って迎えに行くのだ。そんな感じで、迎えに行くだろうと、私は思った。