意味をあたえる

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機種変更も楽じゃないよ

ナミミが卒業式を迎える前に、機種変更をすべきだと妻が私に主張してきて、それはもちろんナミミのフューチャーフォンをスマホにすることを指すので、ナミミはだんまりで妻ばかりが主張するのはおかしい。妻は卒業式を過ぎたら友達とラインIDを交換できないから、ナミミがかわいそうだと言うのである。そういうものだろうか。私は卒業したら、もうすべてのクラスメートとは生涯会わないつもりの心構えを持って卒業式に臨むから、その辺りの感覚がわからない。卒業しても縁があれば会える。私は小、中、高の卒業式はみんなひとりで歩きか、自転車で帰った。たいていの人は親の車で帰るようだが、私は最後の通学路をたどりながら、ぼんやりとしたかったのである。小学校のときだけは、
「おおーい」
と、2人の友達が追いかけてきた。それは一緒に帰ろうぜ、と先に約束した友達だったから、置いてけぼりにした私が悪いのだが、卒業生たちら校門の前で記念撮影とか、おしゃべりだのをしているから、私はアホらしくてひとりで帰ることにしたのだ。そうしたら2人がかけてきた。2人とも学ランを身につけていたが、まだまだ小学生のような走り方だった。私はもらったばかりの卒業証書の筒を左右に振り、自分が決して立ち去らないという意思表示をした。高校の卒業のときは、生まれて初めて私が書き上げた小説を読んだ友達に、一言なにかを言いたかったが、やっぱりやんややんな騒いでいるから、諦めてひとり電車に乗って帰った。電車に追いつくくらいの脚力を持つ友人はいなかった。会えないなら会えないなりに美しくなるのが記憶である。

そういう私の価値観を妻やナミミが理解するはずもないので、私はナミミと携帯ショップへ行った。妻は用事があったので、私はキャリア等全権を委ねられたが、安いプランにしなければならなかった。最初に地元のショッピングモール内のショップへ行ったら「90分待ち」と画面にあったので待っていたら、店員がみんなマスクをして暗い顔をしていたから、私はその時点で買いたい気をなくした。しかし私の携帯を買うわけではなかった。そうしてそのうち私たちの番号が呼ばれ、右端の席へ座ったら出し抜けに機種変する番号を入力しろと言われ、左右に壁のついた、片手がやっと入るくらいの入力端末を前に出された。店員はこちらの目も見ようとせず、あきらかにやっつけな態度であった。大きめのマスクをし、前髪が長い。番号を入力したらこちらの話を聞くことなく、プランの紙を投げるように寄越す。忙しいさなかのこのこやってきた私たちが悪いのだろう。しかし彼らは対価を得ているんだから、もう少しなんとかすべきだ。対応するように私の態度もどんどん悪くなり、敬語の使用は早々とやめ、机に肘をついてプランの変更を指示。その時点で店員もムカついてはいるのだろう。態度悪合戦の始まりである。そうしたら途中でいきなり、
「店頭でお引き渡しの場合、手数料一万円いただきます」
と言い出し、私の財布にはその時点で2000円しかなかったから、もはや商取引が成り立たなくなった。カードもダメ、その場で払わないとダメ、と言うから私の態度に対するペナルティーだったのかもしれない。しかしそんか話は初めてだ。どこでもそうなのか、と訊くと、どこもそうなのかはわからない。しかし2月から総務省の指示でそうなった、と長い前髪は説明する。本当かよ。とにかく払えないものは払えないから、私たちは店を後にした。

とにかくナミミの卒業式の前にスマホは必要なのでATMでお金を引き出し、今度は駅前のショップに行った。車内でナミミが、
「お父さんの言葉遣い、態度が悪かったので私は緊張し、おかげで脇にずいぶん汗をかいてしまった。私は今、連日卒業式の練習を行っているが、そこで担任に、手は必ず膝の上に置くよう指示されている。お父さんも大人なのだから、カウンターに肘などつかず、ちゃんと膝の上に置くように」
と注意された。

次の店では女の、案山子のような外見の人が対応したが、さっきのとは違ってマスクはしていないし、端末も静かに置くから良かった。しかし私は、前述のナミミのダメ出しのせいですっかり緊張してしまい、この女の店員も悪くはないがちょっと冷たい感じがしたので、私は積極的に冗談なんか言ったりして、
「卒業シーズンですから、毎日お忙しいでしょう? 花粉症とかどうです? 私は昨日ちょうど眼科へかかりまして。あそこも殺人的な混みようですね。老若男女、老人の中には車椅子に乗っている人もいました。子供はみんなスマホですよ。私もよくスマホをいじりますが、ちょっと病院内じゃマナー違反? 機器に悪影響? とにかくやりづらいものですから、必ず本を持ってきて、読んだりします。今は南アメリカの歴史の本を読んでます。図書館で借りました。そうです。ちょうどこのお店のはす向かいの、K公園の脇の。K公園の桜ももうすぐですね」
などと労いの言葉をかけたり、もはや接客しているのは私のほうだと言っても過言ではなかった。

少しお時間がかかるので、空いているお席でお待ちください、と言われカウンターを離れると、途端にナミミが私の耳元で、
「あの人鼻の穴に鼻くそついてるね。鼻ニキビかもしれないけど」
とささやいた。

※後述のお店では引き渡し手数料等はかからなかった。