意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

協調性

私は「ふくらんでいる」というブログでも文章を書いていて、それは複数の人が参加していて、しかし順番こというわけではないので、私ばかりが書いているときがある。48時間以内に次を書くというルールなので、私が書かないと突破するのではないかという不安があって、ついつい書いてしまうのである。だから、私の記事が続くのを見て、どん引き、とまでは行かなくても、じゃあいいやー、とやる気をなくしてしまう人もいるのかもしれない。私も、自分が投稿する前に誰かの記事がでていると、特に書こうと思わなくなるからだ。しかしそう思うのは書き出す前の話で、書き出したら最後まで書く。

ここまで書いたところで目の前にラーメンが運ばれてきて、私は家族が今日は1日出かけているので、ラーメン屋に来ていた。私は仕事帰りである。味噌ラーメンにした。美味しくないだろーなー、と思いながら食べたら本当に美味しくなかった。ちょうど昼間、埼玉の食べ物は全般的に不味い、と話をしたばかりだった。「埼玉」だなんて、ずいぶんと大きな主語だが、インターネットではないのだから、かまわず話を続けた。
「でもJさんがこの前行ったつけ麺屋がうまいって言ってましたね」
そう言ったのは私である。その寸前に埼玉を全否定して、その舌の根も乾かないうちに「うまいって言ってました」なんて、支離滅裂すぎやしないか。しかも、「言ってましたね」なんて、いかにもインテリぶったしゃべり方だ。でも、私の話す相手は定時制高校が最終学歴だから、少しくらいインテリぶったってバチは当たるまい。その前には、
「大卒は道に詳しい」
とか、わけのわからないことを言っていた。「大卒」とは私のことでなく、荒俣主任のことを指す。荒俣主任は、今度岐阜に行くらしい。しかも車で。岐阜ってなにがあるのだ。小島信夫の出身地だというのと、荒川習作という芸術家がつくった遊園地があることしか知らない。私はそこへ行ってみたい。あと、白川郷があるね。しかし、小島信夫、と名前を出したところで、
「だれ? 小島よしお?」
と言われるのが関の山なので言わない。Jさんがうまいと行ったつけ麺屋に行きたい。Jさんは五十代の元営業で、営業成績が悪いから私の部署に飛ばされてきた。成績だけでなく、素行も悪い。噂だが教習車を煽って本社にクレームを入れられたらしい。仮免ドライバーをうしろから煽るなんて、Jさんには慈悲がない。

私のラーメンの話だが、麺かと思ったらもやしで、そういうのって、がっかりするじゃないですか? それで、子供のとき、小学校高学年のときに家族で新潟の海に来て、海に入る前に、あるいは入ったあとに腹ごしらえをしようってなって少し海から離れた道路沿いのラーメン屋に入り、私たちは5人家族で、
「座敷にします? テーブル?」
と訊かれて座敷の席にして、私は畳の途切れ目の、断絶部分の端っこに座って味噌ラーメンを頼んだ。そうしたらもやしがこれでもか、てくらい山盛りで、山盛りのかき氷みたいで、山盛りなのはもやしで、全体としては並盛りだった。私は昔から律儀な性格だから、それじゃまずはもやしを食べようってなって、もやしを食べても食べても減らなくてうんざりした。そのとき他の人たちが何を頼んだのかは忘れたが、たぶん弟はまだ未就学だったから、小皿をもらって母のラーメンを分けてもらってフォークなんかでがちゃがちゃ食べている。妹も背がクラスでいちばん小さく、食も細い。私はいつまでもモヤシに手こずっていては、他の人を待たせてしまうし、日が暮れたら海にも入れないので、必死になってもやしを食べ、やっと汁や麺が出てきたがそのときは口の中を火傷していて、味噌もなにもなかった。私は猫舌なのである。

私は本当は、今日は協調性について書きたくて、船橋さんや加山さんや、あともしかしたら栗田みきや岸本さくらも出てくるかと思ったら全然違う話を書いてしまい、この話はまた機会があれば書く。


※小説「余生」第55話を公開しました。
余生(55) - 意味を喪う