意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

経営者は地図とトイレ掃除が好き

昨日の「面接」という記事で、私は私の面接のときのことを思い出したが、最初に勤めた職場はいわゆる圧迫面接で、終始怒られている調子で、怒っているのは50代とか60代の男ばかりが5人、怒られる側は3人だ。もう10年以上も前の話で、怒った人の中にはこの世にいない人もいる。私は当時はまだ若かったし、なにしろ社会人経験がなかったから、床のリノリウムが蛍光灯を反射する様を見て、めまいを起こした。しかし、高校受験のときに先生に
「絶対に下は見てはいけない。面接官の顔か、さもなくばネクタイを見るように」
と、注意されていたから、相手の顔は見るようにした。どれもこれもしわくちゃで、ハゲもあり白髪もありの、初老博覧会であった。

対するこちらは私、眼鏡、ぽっちゃりの三人組で全員若い。安定所の募集要項には、「25歳から35歳を募集する」とあったからだ。さらにその下に細かい字でぐじゅぐじゅぐじゅっと文字が並んでいる、これはおそらく企業が人を募集するときには本当は「女性のみ」「何歳まで」というふうに制限を設けてはいけなく、いけなくなくするためには、この細かい言い訳がましい文言を載せる必要があるのだ。文言は備考欄に載せられる。備考欄は広大な土地を所有しているが、文言はその上澄みしか利用していないのに文字が細かい。私はその文言の最後まで読んだことがない。ちなみに私はそのときまだ24歳で、だから当然この求人は候補から外していたが、別の求人を持って行ったときに窓口の中年の女が、
「こっちにしなさい」
と出してきた。私が年齢条件に合わないと言うと、
「生きてりゃすぐに25歳になるよ」
と構わず申し込んでしまった。

最初に餌食となったのは眼鏡である。彼はあろうことか、履歴書の写真だと眼鏡をかけていなかったらしく、
「履歴書の写真と本人が違う」
「面接官は志望者と初対面なのに、これじゃ見分けがつかない」
「常識を疑う」
「眼鏡は顔の一部です」
(面接官は五人だから、五通りの答えを考えようと思ったが、大喜利みたくなりそうなのでやめる)
と、散々突っ込まれた。私は生まれてから眼鏡をかけたことはなく、もちろん遊びでかけたことはあるが、視力は両目とも1.2を下回ったことはない。母は眼鏡をかけているから視力は低いのだろうが、私は子供の頃当然母の眼鏡をかけてみたくなるのだが、
「目が悪くなるからやめなさい!」
と叱られて、母が寝ぼけているときくらいしか、眼鏡をかけられなかった。母は眠るときは眼鏡をとるのである。だから、眼鏡をかけている人が、履歴書の証明写真にかんする一般常識がいかがなものであるのか、私に見解はないから、常識非常識はわからない。眼鏡は初老の集中砲火で、ズタボロになった。

次に面接官のひとりが、
「ここから君たちの家までの道順を説明しなさい。我々がちゃんとたどり着けるように」
と、言ってきた。これは、面接官の質問ではよくあるパターンで、たしか高校受験のときの面接の、予想質問の中にもあった。ただし、中学生なら「駅から自転車で20分です」と言えば合格だが、社会人はそうはいかない。ミソは、「我々がちゃんとたどり着けるように」のぶぶんである。最初に質問されたのは眼鏡で、やはり彼も最初は「徒歩10分」などと答えたが、
「それだけで我々が行けると思うのか?」
「そういう意味合いの質問ではない」
と、やはり糞味噌に言われている。もはや彼は瀕死だ。私は気の毒に思ったが、彼が罵倒されている間に自分の答えを考えられるからラッキーだった。私は右端の席で眼鏡は左で、突飛なことが起きなければ、私は3番目ということになる。しかも、この質問は答えがかぶるということもないから(私たちは同じ場所に住んでいない)、後攻のほうが圧倒的に有利なのである。

とは言うものの、これは難問である。私の家は田舎で、駅からバスに乗らなければならず、さらにバスを降りても、そこから歩かなければならない。駅方面へ少し戻って歩道橋を渡り、子供の頃によく遊んだ謎の古びた倉庫の前を通りすぎて、ちょっと行って左に曲がる。この「ちょっと行って」の中に、目標物がないのが田舎のツラいところだ。都会ならば、「銭湯」だの「酒屋」だの「花屋」だのいくらでも目標物は出てくる。私の曲がり角にあるのは、標識と電柱と垣根くらいだ。どれも固有名詞になれないから、目印としては弱い。そういえばタクシーに乗って帰るときも運転手に、
「次の街灯のところが交差点になってるんで、曲がってください」
とか説明している。小さな交差点なのだ。

それで真ん中のぽっちゃりの番がやってきて、彼もどうやらバス停から距離があるらしく、どうやって答えるのか聞いていたら、
「○○のバス停で降りてください。そうすればそこでお待ちしております」
と、まさかのウルトラCを繰り出した。案内がなければ、たどり着くことができない僻地に住んでいるということである。私は椅子からひっくり返りそうになったが、面接で緊張していたから、なるほどそういう答えもありだな、と感心をした。場合によっては
「とてもユーモアのあるやつだ」
となって、気に入られて採用、となるかもしれないが、初老なので罵詈雑言の嵐だった。

そこで、多分質問は打ち切られて、最終的に無傷の私が採用となった、というわけではないが、もちろん結果的には採用だが、私も一次試験のときの作文について、
「何を書いているのか、さっぱりわからない」
の痛烈に批判され、私はこのほかの面接の作文でも、だいたいうまく書けたためしがなく悔しい。帰り際、眼鏡が歩道橋のうえで、
「たぶん、あなたが採用ですよ」
と言われ、そうかもしれないと私は思ったが、一応
「いや、そっちじゃないですか?」
と言っておいた。ぽっちゃりは足早に去っていた。結果的に私は採用されたが、私が思うに、私は試験の点数が良かったから採用されたように思う。

それで、タイトルとは全然関係ないことを書き続けたが、面接官の一番の親玉が、トイレ掃除に徹底的にこだわる人間で、私の事務所はいつもトイレが汚いと怒られた。トイレ掃除が好きな経営者は多く、どうやら経営者向けのそういうセミナーがあるらしく、あるとき知り合いの社長が、自分を解き放つためだか理由は忘れたが、素手で便器を磨くセミナーに参加したことを教えてくれ、とにかくそこではゴム手袋は厳禁で、素手でゴシゴシやらなければいけない。それによって、自分も変わったんだ、と話した。それと、私はいちど私よりも若い経営者のところで働いたこともあるが、その人も、20代で私の弟と同い年だったが、トイレ掃除だけは、誰にもやらせずに自分が毎日行っていた。私はそのとき精神的にはどん底で、よくトイレにこもった。

地図については、もう書くの疲れちゃったので、「トイレ」を「地図」に置き換えるなりして読んでください。