意味をあたえる

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タイル(2)

以前も「タイル」というタイトルで記事を書いた気がするので、タイトルがかぶることはシステムからしたらどってことないだろうが、私はアレなので、先回りしてお尻に「(2)」とつけた。だからこの記事は何かの続きで書き始めたわけではないが、タイトルを見た人は
「続きかー」
と思いそうだ。私の過去の記事には「父について」というタイトルが3つあり、1と2はそのときのネットワーク状況がイマイチで二重投稿がなされたから、同じものが二つ並んだ。3つめはもちろん1のつもりで書いたが、あとから以前も同じタイトルで書いていたことに気づいた。しかし以前のはタイトルこそ「父について」だが、内容は一切父親とは関係なかった。比較的初期のころは脱線がひどかった。iPhoneのアプリで書いていたが、フォームの並びが、なんとなく一方通行なかんじがして、まずとくに書くことがなくてもタイトルを決め、それから内容は内容で一から考える必要があった。その下に「カテゴリ」というフォームがあったので、あらためてそこでさっきの内容に相応しいようなタイトルをつけた。そのため私のブログは記事が一つしかないカテゴリがあるのはそのためです。「そのため」のはさみ焼きのような文ですね。

ところで何日か前の記事でテンションが高いのはどうこう、という内容のものを書いたが、それのコメントを読んだら
「話が脱線したが復旧し、しかも締めのようなものも見られ、テンションの高さに対する憎悪が伝わってきた」
といった風のものが見られ、さすがに私は笑ってしまった。私としては確かにあまり関係ないことを書いて、退屈になってきたら終わり、というのがいちばん多いパターンだが、あまり退屈にならなかったり、あとはまだまだ今日はあまり書いてないな、と感じたときは戻るときもあり、そういうこともしょっちゅうあると思っている。憎悪、と言われればそうかもしれない。ある種のしつこさがないと、他人の同意をえることは難しい。私としては、やっぱり書き終わってみると本来の「テンションの高さに対する憎しみ」よりも、その前のスーパーマリオのほうが内容に満足できた。そういえばファミコンの「魔界村」は4面までいけたなーとか、今思い出した。だけれどもあの記事は比較的多くのコメントをいただいたが、スーパーマリオに対してどう、というのは(おそらく)なかった。

だけれどもここで、結局思い入れのないことを書くのが正解、と結論づけてもいいが、やっぱりタイトルというもののインパクトは強い、よほどのアドバンテージがあると見ていいのではないか。というのが、私が普段他人様のブログを読んでいると、
「こういうことが言いたい」
という衝動にかられるが、それはだいたいタイトルに対してなのである。極端に言うとタイトルに対して「○」「×」の判定を早々にくだし、あとはそれが妥当かどうかの検証みたいな読み方になり、それは読むというより確認作業だ。だから、私の中で○や×が浮かんでも、それはいったん横に置いといて、ひとまず内容に集中しようと思っても、なかなかうまくいかない。だからタイトルというのは本質的には内容を何も説明しないほうがいいし、むしろなくても良いような気さえする。例えば私はその面白さというか興味深さを信用しているブログというのがいくつかあるが、それは「信用します」と決めるのではなく、どうせ面白いのだから、いちばん面白いところだけ読もう、と思って途中で読むのをやめたり、後ろから読んだりする。そういう自由がもっとあっても良い気がする。

それでまた話を戻すが、タイルには小さい丸形の並びで模様や滑り止めの役目を果たすものがあるが、その丸形を結んでも正方形や長方形にならないことが、私の幼い頃からのストレスであった。丸という形の性質であり、隙間を少なくすると、真横に配置ができないのである。ちょうど私の実家のトイレの床がそうなっていて、私のタイルへの憎しみは腹痛の苦しみから生じた。ひし形は容易に作れ、私は長期戦になると、ひし形を少しずつ拡張した。ひし形は最低4つの丸で作れるが、それが最も小さなひし形かと言われれば疑問で、最低はやっぱり1つが自然だと思う。そうすると丸形はひとつでは間違いなく丸なのに、この場合はミニのひし形に見えてきて不思議だ。あと、無理矢理に長方形をつくる方法もあり、この場合は一列飛ばしで丸形を拾っていくと、横線が引ける。しかし当然すかすかだから、不安定な長方形である。