意味をあたえる

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森泉

昨晩ナミミを塾に迎えにいき、塾には駐車場がないから私は8時半すぎには家を出たいと思っていて、だから私は早めにランニングを切り上げた。一週間ぶりのランニングだったので、股の筋肉がかたくなり、これ以上走ると筋肉痛になりそうだからちょうど良かった。塾には駐車場がないから、親たちは隣のオートバックスの駐車場に停め、しかしそこは他人の敷地だからやはり苦情が出た、と先月の塾通信にあった。だけれどもオートバックスも客商売だからあまり強気には出れず(お客さんの可能性があったから)
「ここここに停めてください。このあたりは空けてください」
みたいな妥協案を向こうからあげてきた。結構たくさんの駐車スペースができた。塾はそんなにおおきな塾ではないから、実際にやってくる車よりも多いんじゃないかというくらいだった。塾自体も元はアパートだった建物を利用してるらしく、最初は一階部分のみが塾で二階には普通に人が暮らしていたようだが、その人たちが出て行くと、二階も塾にした。なので一階と二階は建物の中でつながってはおらず、たまに外の階段からナミミが降りてくる。授業によって一階だったり二階だったりするのだ。台風の時などは大変だろう。

そういうわけだからなのか、ナミミはその建物を
「くさい」
と言う。建物じゃなく、教えている人間のほうではないかと私が訊ねると、
「わかんない」
と答える。私の訊き方が悪いのか。加齢臭みたいなのじゃないかな、と私は推測する。ナミミの塾はマンツーマンが売りで、私もそういう塾に勤めたことがあるが、そういうところはアルバイトが教師をやっている。私もアルバイトだった。学生のアルバイトがほとんどだったが、私はもうそのときは卒業したあとだった。友達の妹の友達に紹介してもらって面接を受けた。背の低い、爆笑問題の田中のような男だった。田中が塾長だった。田中はBMWに乗っていた。苦手科目を訊かれ
「英語」
と答えると英語の試験をやらされた。それで、
「空きがあったら連絡する。今はいっぱいだから」
と帰された。それは採点前だった。だから遠まわしな断りかと思い、諦めていたら6月くらいに連絡がきた。面接は3月か4月だった。かけてきたのは女の人だった。田中は男だった。それで次の年の3月まで私は勤めた。

よく塾や家庭教師は時給がいいと言われるが、実際に私のところも1500円くらいで、コンビニなどの倍だったが、しかし授業の準備や、さらに毎度なにをやったか報告書を上げなければならず、それは無給だったから、必ずしも稼げるかはわからなかった。それから田中が授業の進め方がどうこうとケチをつける。田中自体は授業は行わず、ひたすら講師にケチをつけることに徹する。そのため、だいたい8時半とか9時にやってくる。そこが狙い目で、私の受け持ちは運良く8時で授業が終わるから、そこからそっこーで報告書を書き上げ、田中のデスクに開いて置いて引き上げた。その頃から私の残業嫌いは徹底していたのである。私としては、
「言いたいことがあるならもっと早く来いよ」
という言い分であったが、文句を言われることはなかった。中三の6月にあわてて塾に入ってくるような、あまり勉強に前向きでない生徒だったから、田中もあまり目をかけていなかったのだ。私も仕事に後ろ向きだったから、その点では私たちは良いコンビであった。私が田中に怒られたのは、月一の親への報告書の生徒の名前を間違えていたときくらいだった。生徒の名前はとても書き順が多く、それまでの私の人生で書いたことのない字だったのである。怒られた、というか田中はノートパソコンのマイクロソフト・ワードを立ち上げて生徒の名前を打ち、それを目一杯のフォントサイズに拡大し、ディスプレイを私の見やすい角度に調整した。私もそれなりに屈辱的な気分になった。

森泉については、家に帰ってからテレビを見ていたら森泉が実に手際よく電動工具で板にビスを打ちつけていた。それは手作りの棚などを母子家庭の家にプレゼントする番組だったが、どう見ても工具の宣伝にしか見えなかった。