意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ネタバレという言葉を使いたくない

昨晩家に帰るとひとりだったので、正確に言うと義父がやはりひとりで缶ビールを飲んでいたが、二階に上がればそこまで義父はこないから、私はひとりになれた。私は適当に会話を聞き流し、そうしたら郵便局の不在票が着ているというので、携帯からは料金が発生するので、固定電話からプッシュで再配達の依頼をした。まず、私はスピーカーに切り替えて操作したかったがやり方がうまくいかず、受話器を耳に当て続けなければいけないのでイライラした。それと、ガイダンスの突如の
「それでは、再配達希望日を押してください」
にはいつも、「いきなりそんな......」とどぎまぎしてしまう。入社したてに教育係から、
「じゃあ、今のやつ、ひとりでやってみて」
と言われるのに似ている。突き放された感覚だ。サバンナに素っ裸で放り出される感覚だ。するとガイダンスは私のそういう心境を察したのか
「例えば3月5日なら、「0305」ですよ」
と助け船を出してくれる。だから私は「1018」と押した。今日も仕事だが、夜ならいるからである。そうして作業を終えると思いのほか電話機のプッシュキーがホコリまみれで私の指先の水分がほこりの一部を引っ付けたので、私はイライラした。電話機を掃除する際は横着するとふき取っている間にピポピポ言ってイライラするだろう。

そうして再配達の手配を終えた私は無事に二階に上がり、
「ひとりだし「セッション(映画)」でも見ようっと」
と思い、見た。見終わったら色々思うことがあり、さらにその後走ったら、坂上忍のこととか、「石の上にも三年」という格言があるが、経営者は石を会社に例えたがるが、必ずしもそうではない、とくに今日の日本では、ということを考えたので、それをブログに書いたらどうかと思った。しかしインターネットで映画の話題を扱うときには、暗黙のルールなのか
「ネタバレ注意」
というのがくっついていて、私としてはそんな野暮ったい言い回しは使いたくない。また、この文言を怠ったら誰かに咎められるかもしれないという、暗に自分の記事が多くの人に読まれ、人気者である風を自慢しているような自意識過剰なところも気にくわない。だからTwitterで、
「ネタバレという言葉を使わずに映画のことを書くにはどうすればいいか?」
と問いかけたら誰からも反応がなかった。私は安心した。そうしたら何故かZ氏がDMで私にネタバレについてアドバイスしてきて、私はそういう事情を薄々察してはいるものの、個人宛のメッセージに不特定多数に対するような諧謔を盛り込みながら相変わらず長々と書いてくるZ氏に執念を感じたので、
「執念を感じます」
と応じたら
「確かに執念です」
と認めた。それから私の注文に対しZ氏がアイデアを出すやりとりが何度か続くとZ氏が不意に、
「なんか僕、怒られてません? なんかいつになく横柄ですね」
と指摘された。私が「冗長すぎやしないか」とケチをつけたことに対する抗議である。確かに私は個人のやりとりだから、少し強気になってしまうところがあるようで、それはおそらくDMで人妻を口説いたりとか、そんなことばかりしていたからそういうノリになったのだろう。

そのことをZ氏に伝えると、
「奥さんを大事にしてください」
と言った。