意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

狭山市、走馬灯、はじめてものを書くように

バスは狭山市を通り抜けた。その車内に私はいた。途中にむき出しの土が続く箇所があり、その端っこに雑木林があって私は雑木林が好きだ。家の近所に工務店があり、その資材置き場の裏が雑木林になっていた。私の家から雑木林を貫通して資材置き場が見えるくらい、薄い雑木林だった。私はよくそこで木登りをした。木の表面がぺりぺり剥けるものがあった。何かの病気だったのだろうか。剥がれた表面を五百円玉くらいの大きさにして、しばらく大事にとっておいた。表面を失った木の方は、つるつるして世間知らずのようにふるまっている。

剥き出しの土の表面を見ながら、私は狭山市出身のとある小説家を思い出した。名前は忘れた。保坂和志
「これは和製ピンチョンだ!」
と絶賛した作家である。私は著作「いい子は家で」を読んだ。そんなにぴんと来なかった。狭山市出身、とプロフィールに書いてなかったと思うが、私は読みながら
「これは狭山市らしい文章だ」
と思った。狭山市はむき出しの土塊が続くのである。それと、しばらく行くと野菜の無人販売所があって、その販売所は野菜がコインロッカーに入っていた。購入者はそこにコインを入れて扉を開け、野菜を持って行くのである。狭山市の人は金も払わずに野菜を持ち去る人が多いのである。それとしばらく窓から外の風景を見ていたら、ガソリンスタンドの店員が給油をしようとする車の前に立ちはだかって激しく両手を振り回し、その動きがこの世のものでないように見え、私はこの車窓の風景について
(これは走馬灯というものだろうか)
と思った。すると車内の白々しい蛍光灯が、急に彼岸のもののような気がしてきた。

そうしたら酔った。私は元々乗り物に極端なくらい弱いのである。バスの運転手も下手くそだった。私は急ブレーキに弱い。胃がせり上がる感じがたえられない。後ろの中年の女たちの話し声に酔った。
「夕飯を食べずにバウムクーヘンばかり食べて、困っている」
と言っていた。朝起きると、夜中に食べた包みが四つも捨ててあったそうだ。
「私はビニールのゴミ箱のそばの席だから見えちゃうのよ」
と言っていた。埼玉県はゴミの分別にとても厳しいのである。