意味をあたえる

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十字路(7)

葉山の車は、私の車すぐそばにあった。駅前でなおかつ夜中でもタダで停められる駐車場なんて、限られている。シルバーのプリメーラ。聞いてもいないのに「親の車なんすよ」と言ってきた。本人の車だとしたら、私が憤慨するとでも思っているのだろうか。まあいい。それより気になるのは、葉山がどのくらい酔っているのかという問題だ。思い返す限り、私と同じくらい飲んでいた気がする。細かく言えば生ビール中ジョッキで2杯、その他チューハイ2杯くらい。葉山のアルコール耐性については、今日が初見なので、判断のしようがないが、仮に私なら、まあ運転できないことはないが、遠くまで行く気にはならないというレベルだ。お台場?普通に2時間はかかりそうだ。しかも笠奈の思いつきで決行となったが、大丈夫なのだろうか?自然と男が前、女が後ろ、となった席順で、私は隣の運転手に「てか、大丈夫なの?」と率直に聞いてみる。「あ、大丈夫ですよ。そんな飲んでないです」軽い。本人が大丈夫、というのなら、大丈夫なのだろう。これで私は一応の責任を果たした。もしものことがあっても、私には関係はない。なんて思うのは、私も酔っているからだろう。お台場行きは、もはや大きな流れとなっているので、今更止めようもないのだ。
ほとんどひと呼吸で、n号線へ出る。片手ハンドルで運転する葉山はなんだか頼もしい。おそらく車の運転が好きなんだろう。大して会話もしないまま、一気に街外れまでくる。ちょうど私の家のすぐ近くだ。街の外は、私にとっては未知の世界だ。というのも、私は一応車を運転するが、だいたいは市内を回るのがせいぜい、たまに遠出するのも、車でしか行けないようなところに住む、山間部の友人を訪ねるくらいだ。都内に行きたいのなら電車を利用する。それが誰にとっても合理的な判断だろう。その合理性が、私の行動範囲を狭めていた。
今通過しているのは、私の家からわずか数キロの町だが、私にとっては別の惑星にも等しく、目に映る光景が新鮮だった。このW町は田んぼばかり広がる農村地帯で、夜中のためなのか住宅も見えず、荒涼とした感じは想像上の火星の表面を連想させる。さしずめ葉山のプリメーラは小型探索機と言ったところか。n号線は、火星唯一の安全航路だ。ここを外れると、どんな危険が待ち受けているかわからない。山の向こうからインディアンが襲撃してくるかもしれない。いつのまに西部開拓時代へワープしたのか。
もちろんこんな妄想に心ときめかせているのは、私だけだろう。ちゃんと自覚している。本当なら窓ガラスに顔を押し付けて、火星人探索に乗り出したいところだが、我慢して、ちゃんと前を向いている。片道2車線のn号線は、それほど混んでいない。少し先に青信号があって、さらにしばらく向こうの信号は赤だ。道はまっすぐで障害物は何もない。車内は、後部座席の女子たちが自分たちだけで勝手に盛り上がり、必然的に葉山に話しかける必要が生じる。「どのくらいかかるかな?」「1時間ですかねえ」「そんなに早くつくか?」初めてを悟らせないために、私はでたらめを口走る。
「まあ週末にしては空いてますし」そう言って葉山はアクセルを踏み込む。ちょうど速度検知器のゲートをくぐり抜けたところだ。スピードに比例して運転は荒くなる。だからと言って信号無視まではしない。一気にブレーキをかけると、体よりも先に内蔵が前につんのめりそうになる。不快だ。私は身を硬くして、出来るだけ前の風景から目を逸らさないようにして、ブレーキのタイミングを予測するよう心がける。あと、大切なのは楽しい会話。
「二階堂さん」と私は声をかける。斜め後ろの二階堂は「はいはい」と身を乗り出す。「二階堂さんて、どこの大学だっけ?」別にどこの大学だろうが、知ったこっちゃないのだが、それくらいしか話すことが思いつかないのだ。
「えー。さっきo大って教えてあげたじゃん。もう忘れたの?」という声が私の真後ろから聞こえる。そう言われてみると、笠奈から、二階堂ちゃんはo大の福祉情報学科だよとか聞いたような気がする。私が福祉情報って何?と聞くと「知らない」と即答されたのだ。笠奈はとりあえず、手短に答える癖があるようだ。それは今はどうでもいい。私はとりあえず話がしたいだけなのに、どうして出会い頭に鼻っ面を、殴られるようなことをされなければならないのか。笠奈は鬱陶しい。なんて思ったのが伝わったのか、笠奈は突然私の首を締めてくる。笠奈の手は熱くも冷たくもない。ただ柔らかいだけだ。力はこめられていないが、心地よくはない。
「この野郎、二階堂ちゃん口説こうとしてんな」
笠奈は酔っているのか?私は二階堂に、大学名を聞いただけだ。葉山と二階堂は爆笑している。笠奈は酔うと暴力的になるのか?「お前、酔っ払ってんの?」首にかかった手を振りほどこうとすると、笠奈は勢いよく引っ込めた。
「さわんないで」そう言った笠奈は、今度は二階堂に抱きつく。バックミラー越しに笠奈と目が合う。暗がりで笠奈の目は真っ黒だ。
「二階堂ちゃんはあたしが守ってあげるからねー。あのね、二階堂ちゃん、この人ミキちゃんにも手を出そうとしてんだよ。このロリコン!」
そこまで言われたら、私だって黙ってはいられない。「んなわけねーだろ」とムキになって否定すると、葉山も二階堂も笑っている。どうやら、笠奈の話は本気と取られていないようだ。当たり前だが。
「ていうか、ミキちゃんは、俺の授業の方がわかりやすくて楽しいみたい。それに笠奈はヤキモチ焼いてるんだよね」これ以上笠奈をのさばらせても仕方ないので、私は反撃に転じる。
「ばか!そんなわけないじゃん。ミキちゃんは私小学6年の時から見てんだからね。好きな人とかだって知ってんだから」
こんなわかりやすい挑発にも、笠奈は正面から乗ってくる。私は落ち着いて「ふーん。そうなんだ」と含みを持たせて返す。笠奈はますますムキになる。もはや完全にこちらのペースだ。
私がこうして笠奈をからかっていることは、葉山も二階堂も気づいている。葉山は「じゃあ2学期から数学は講師変わってもらえば?笠奈さん、数学は苦手でしょ?」なんて火に油をそそいでくる。反論の言葉の尽きた笠奈はは私の頭を後ろからこづき「二階堂ちゃーん」と泣き声を出す。悪くない雰囲気だ。
どこかの橋を渡った時点で、風景が代わり、ガソリンスタンドやレストランが道路脇に出てくるようになってきた。車の量も先程よりも増えている。おそらくW町を抜けたのだろう。
笠奈はさっきまでの大騒ぎで疲れたのか、静かになっている。代わりに今度は二階堂が話を始める。「葉山さんて生徒さんと恋話したりする?」「俺の生徒、生意気にも彼女いるんだよね」「えー」さっき聞き手に回ってた2人が、今度は話の主導権を握る。葉山は「生意気」と言ったが、葉山の生徒は高校生だった。それならまあ、生意気とも言い切れない気もする。「でもそいつの彼女、大学生なんだよね」訂正。やっぱり生意気だ。
私もなんとかその話に入ろうときっかけを探るが、そもそも自分の生徒とそんな話をした事がない。顔はそんなに悪くもないので、恋人の1人や2人いるのかもしれない。今度休憩時間に聞いてみるか。しかし面倒なのは「先生はどうなんだよ?」と聞き返される事だ。いや、別に面倒ではない。単に「いないよ」と言い返せばいいだけの話だ。自分でも何を言っているのかよくわからない。
と思ったところでいきなり笠奈が「ていうか彼女とかいるの?」と私に聞いてくる。さっきもそうだったが、いきなりこちらの思考のど真ん中に、球を投げてくる。エスパーか?いや、そうではない。この女は葉山と二階堂の会話を聞きながら、ふと気になったことを口に出しただけだ。笠奈との付き合いはまだ短いが、私は笠奈は軽はずみで愚かな女、というキャラ設定をしていた。
私は「いないよー」と陽気に答える。あ、そう、と笠奈はドライな反応。聞いておいてこれか。何か試されていたんだろうか。「彼女は7人いるよ。曜日毎に取り替えるシステムなんだ」という答えでも期待していたのかもしれない。とにかく、場が一気に白ける。なんだか私が悪いみたいだ。何か言わねば。とりあえず「そんじゃ笠奈は?」と聞き返すのが無難だろう。が、無難過ぎるのでつまらない。それに、なんとなく笠奈の彼氏の有無は確かめたくない。
そんな私に助け舟を出してくれたのは葉山だった。いや、ただの偶然だ。私たちの走る右車線の先に、派手なネオンを背負った緊急車両が見え、ここで車線がひとつになると警告していた。当然最初に気づいたのは運転手の葉山で、見つけると同時に「事故かな」とつぶやく。車内の空気が一気に変わり、笠奈も二階堂も身を乗り出してきた。詰まり気味の左車線にやっとのことで割り込み、何人かの警察官の先に、期待通りボンネットがぺちゃんこになった軽自動車が見えた。一台しかいないから、どこかへ突っ込んだのか。運転手等は見えない。おそらく救急車で運ばれて、あとはレッカーが来て車をどかすだけなのだろう。後部座席から悲鳴が聞こえ、葉山も、一瞬「うわっ」と声をもらす。前は見ていなきゃだから、それほど注視できないのだ。もちろん私も砕け散ったフロントガラスと思われる破片が、他の車のライトを反射してきらきらしてるのを見て、痛々しい気持ちになる。が、そこまで集中できない。今、私がメインで考えているのは、この目の前でうろうろしている警官たちが、突然検問でも始めないか、という心配だった。もちろん現実的に、ついでみたく検問を行うわけないし、例え1キロ先で飲酒検問をやっていたとしても、それは目の前の事故とは関係はない。それがわかっていても、警察官、という単語を頭で認識してしまうと、反射的に身構え、悪いイメージが止めどなく広がってしまう。葉山たちはそんな風にならないのだろうか。
だが、車内が緊張していたのも、車線が再び2つに別れるまでで、車の流れが元通りになると、葉山は遠慮なくアクセルを踏み込み、二階堂は、そうそう事故と言えばと、先日ショッピングセンターの駐車場で壁に車を擦ったエピソードを披露する。笠奈が「えーっ」と驚いて、頭のめでたい若者四人組に逆戻りする。
やがて分岐を知らせる青い表示板が、頭上に頻繁に現れた。と思うと、まるで川の下流のように道全体が広がり、n号線は終わりを迎える。巨大な交差点だった。もちろん道路自体は都内まで続くから、n号線が消滅するわけではないが、ここで一度何本かに分岐し、そのほとんどは別の国道に吸収される。一本だけ残った本線も、他の国道と並走したりして、独立性は希薄だ。
葉山が選択した道も一応はn号線だが、しばらく進むとさらに大きな国道と合流した。おそらく首都高へ通じるだろうこの道は、片道4車線に車が溢れかえり、果てしなく並ぶブレーキランプの赤が、まさに大動脈を流れる血液を連想させた。流れも先ほどまでのように、スムーズではない。葉山は車線変更を何度も繰り返し、できるだけ前のポジションをキープしようとする。それでも頻繁に出現する信号に、何度も足止めを食わされ、車内もそれに呼応するように、自然と静かになった。
やがてどこからともなく現れた高架が道路の真上にかかり、延々と夜空を塞いでいく。大蛇の腹を思わせるそれは圧迫感を与え、私は再び胸のむかつきを覚えた。緑色の表示が頻繁に現れ、大蛇の正体は首都高だとわかる。
いくつかの入り口をやり過ごし、ようやくT市に入った所で坂を上がり、料金所のゲートをくぐる。当然のことなのかもしれないが、空いている。葉山の車は、水を得た魚のようにぐんぐんとスピードを上げる。先程までの圧迫感から開放されたのだから、当然爽快であるはずだが、それも最初の数分で、あとはカーブの多さにうんざりしてくる。首都高を走るドライバーは、信号機がないからスピードを出す、というよりも、高速道路だし、有料なんだから払った分早く目的地につかねばならない、というある種の義務感に駆られてアクセルを踏み込んでいる気がする。結構きついカーブでもブレーキはほとんど踏まない。赤いカーブ表示の貼られた壁が目前に迫る度に、私は肝を冷やした。葉山も表情こそ涼しいが、口数は減り、左手はシフトレバーを強く握り締めている。私は少し後悔し始めていた。