夢の中で誰かが死んだ。用水路に落ちた。私の家は坂の上にあり、雑木林の隙間から、田んぼを見渡せる地点が一カ所だけある。工務店が資材を置くために、木を間引いたのだ。工務店は道の反対側にある。家の中には巨大でぶ厚い水槽がある。親父さんは気のいい人で、私が学校帰りに通ると、必ず
「おかえり」
と声をかけてくれる。しかし私はいつも、
「ただいま」
と言うべきなのか迷うから、小声で
「ただいま」
と言う。私が帰るのは、工務店の家ではないから、おかしいと思ったのだ。私の家にはプラスチックの水槽しかない。去年はそこでカマキリが死んだ。私がもっと幼いなら、無邪気に「ただいま」と言ったっていいだろう。親父さんも、未熟だから帰る家の区別がつかないんだな、と察してくれるに違いない。私は小学六年だ。明日は卒業式だ。母親が私のランドセル姿を写真に撮る。私はランドセルなんていつでも背負えるじゃん、と言う。それじゃあ意味合いが違っちゃうんだよう、と母。電話が鳴る。天ぷらの火を止める母。電話は食器棚の間に置かれている。棚の扉には連絡網が貼られている。6年3組。彼らは明日を持ってバラバラになる。
工務店の資材の影から、男がにゅっと現れた。うつろな目つきで、中日ドラゴンズの帽子をかぶった背の低い男だ。彼は最近工務店に雇われた男だ。立ちションでもしていたのか。立ちションならわざわざ隠れる必要はないから、野グソかもしれない。しかし、資材の向こうでは、田んぼからは丸見えになるのではないか。こういうのを、頭かくして尻隠さず、と言うのではないか。しかし、尻は出ている。
「あいつは元人殺しだよ」
と建司が言った。建司は工務店の三人兄弟の末っ子で、私よりも三歳下だ。そのため、私の子分のような立場である。だからと言って、私は無茶をさせたりしない。だが、一度だけ私が班長のときに朝の学校にいちばん乗りがしたくなり、朝6時半に班の集合時間を設定したことがある。班は7時前に学校へ到着したが、校舎の入り口にはすでに体育座りをしている男の子がいた。男の子は上に半袖の体育着を着て、下は青の学校指定のジャージを履いていた。ひとりである。必ず班で登校しなければいけないのに、奇妙であった。見たことのない生徒で、何年生なのかもわからない。建司も知らないようだから、四年生か五年生だろう。学校の指定のジャージは、ズボンがまくれるのを防止するために、裾にゴムバンドが取り付けられている。私はそれが足の裏にくっつくのが嫌で、ある時親にちょん切ってもらった。ジャージ自体も四年くらいまでしか履かなかった。
卒業式の一週間前に、岸本さくらが、眼帯をして教室へやってきた。その日は水曜日で最後のクラブ活動の日だった。クラブは六時間目で、五時間目の終わりまで岸本さくらの目に異常はなかった。岸本さくらは器楽部、私は囲碁将棋オセロクラブだったので、岸本さくらの怪我の経緯はわからなかった。岸本さくらは、教室の前のドアからやってきて、ドアは取り巻きの笹本あゆみが開けた。笹本あゆみはクラスでいちばん背が低く、自転車にも乗れない。笹本あゆみの家の前には、坂があり、それは通称「蛇坂」と呼ばれる近所でいちばん勾配のきつい坂で、笹本あゆみが自転車に乗れないのは、そのせいではないかと思う。しかし、卒業したら笹本あゆみは東中で、東中は家から四キロ離れているから、自転車に乗れなければ登下校できない。東中までの道のりは途中が田んぼ道になっていて、そこは冬になると向かい風がきつい。蛇坂どころではない。田んぼ道は、工務店の資材置き場から、かろうじて見える。しかし私は南中なので、そこの道は通らない。南中は街中にある。岸本さくらは東中だ。岸本さくらは自転車に乗れる。岸本さくらは、川のすぐそばに住んでいて、おそらく土手の上などで自転車の練習をしたのだ。
作者「思いのほか長くなってしまったので、明日に続きます」