意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

今日は曇り一時雨じゃなかったのか

洗濯物を中に干してしまった しかし暑いから中も外も同じ気がする 帰ってから取り込んでひと息で畳んでしまった 週明けだからまだ洗濯物は少なかった 朝早くに子どもに起こされたら調子が狂ってしまい弁当を作り忘れた 


保坂和志が川端賞をとったという動画を見てまた小説を書くとは子供のころに植え付けられたら筋道をつけるというのを乗り越えるということと話していて保坂和志の書く行為はそれが確固たるテーマなんだと再確認した 「小説よりも猫が大事」というのも「好きなものに一生懸命」への反骨なのだろう 一生懸命は思考停止であり行為の中身が知らぬ間にすげ替わってしまう装置である 「夢中で」とかも同じだろう だとしたら視界の真正面でとらえるのではなく隅っこでなんとなくとらえる方が行為としては正当なのだ


一方の山下澄人は死でありついに自分も病院で手術するという 少しTwitterを遡ると「死は平等で「ほとんどの人が死ぬ」ということはない」と言っていてなるほどと思った