意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

会話

小島信夫「寓話」より引用。

それにあなたの作品はこんどエレーナさんの訳でアンソロジーの一つに入ったそうだし、あなたの、この『寓話』もひょっとしたら、ソ連の作家同盟の方で興味をおぼえるかもしれない。そうでなくとも、『墓碑銘』というのも、ぼくは未読だが、どうも、近いうちにロシア語にやくされそうなにおいがする。
 とにかく、ぼくはあなたが出席することを信じてやってきた。ぼくが会いたいのは、あの美人のエレーナさんと、それから、あなただった。といっても、小島さん、エレーナさんにはみんな忘れられない思いを抱いてソ連から帰ってきたことはまちがいないけどね」
「彼女にはアジア系の血が混っている。自分でそういっていたっけ」
 と私はよけいなことをいった。それから、
「十年前、彼女の通訳でロシアをまわったとき、モスクワからレニングラードへ行く夜行列車の寝台車で、彼女を含めてぼくら四人は、上下二段ベッドに、それぞれ入って寝た。エレーナさんは向うの人としては小柄な人でした。もちろん、今よりスリムであった。今だって、彼女が気にするほとではない」
「気にしているといったの?」
 私はそれには返事をさけることにして続けた。
「彼女は、ぼくなんかの反対の側の上の段へ昇ってカーテンのなかへかくれた。昇って行くときもかくれるときも、一度もふりむかなかった。彼女は日本の浴衣を着て、腰紐でウエストを締め、お端折をしていたのは、可愛かったですね」
「小島さん、あなたが、燕京大学の図書館で、アメリカの天津海武官室の印のあった、暗号解読の歴史の本を見つけ出し、それを、あなたがその青い目の兵隊である浜中にも部分的に読ませたりした、と書いてあったようにおぼえているが、その本というのは、著者は何という人ですか」

これは、「エレーナ・ロジーナさんを囲む会」という催し内での、宮内寒爾氏との会話の場面である。「爾」は「じ」と打って変換したが、実際は弓へんがついた爾である。私は上記の引用を朝、会社に行く前に大急ぎで写したわけだが、途中で会社に持って行って、そこで写せばいい、と思い至って、会社に本を持ってきて途中から写した。今朝は義父母も朝から病院へ行き、妻も昼から歯医者に行くというので、仕事を早出すると言って出て行った。シキミはいつも通りが早く、ナミミはいつのまにかいなくなっていた。私は家を最後に出たのだが、家を出たとたん、ヒーターの電源を切ったのか気になった。すでに玄関の鍵はかけ終わり、その鍵というのがガレージの置き鍵で、そもそも私も一本鍵を所有しているが、それは車の鍵と一緒になっていて、車の鍵は車に刺さっていた。フロントガラスが凍っていたから、早めにエンジンをかけなければならなかったのである。

私は上記の、小島信夫の会話のシーンを引用し、その中の会話のリアルさを今日の記事としようと思ったが、写し取っているうちに、あまりそういう気がなくなってきて、小島信夫の「寓話」は、小島信夫自身が登場し、おそらく宮内寒爾氏、エレーナさんというのは実在の人物だろうし、「囲む会」もじっさい行われたのだろうが、だんだんとこんなやり取りはなかった、という気がしてきた。もちろん私がしたいのはリアルさの話であるから、じっさいどうだった、とか、真偽がどうであれ、そのリアルさにはなんの疵もつかないのだが、私は自分で書き取っているうちに、エレーナのエロさばかりに目がいくようになってしまい、もうリアルがどうとかどうでもよくなってしまった。ここのところ、私は書くことと読むことがどうこう、という主張を頻繁にするが、このようなことはしばらく続くのだろう。

私は、この先ももっと書こうと思い、前段落は3時半には書き終えていたが、いったん下書きに戻し、それでまた書こうと思うのだが、そうすると上からまた読み返すような形になって、最初に小島信夫の文章があって、次に私の文章になって、それは車窓から見る風景のようなのだが、小島信夫のほうはひらがなが多いのに比べて、私は漢字ばかりで、なんだか息がつまってもういいや、という気になった。今日は終始ちぐはぐな日である。