意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

fktack

昨日えこさんが子育てについて記事を書かれていて、なにか無性に思いのたけをぶつけたくなって、それならばコメントがいいですよ、ということでコメント欄にだーっと書いた。途中で指が触れて意図しないタイミングで投稿しやしないか冷や冷やしながら書いた。もしそういうタイミングで投稿してしまったら、直そうと思った。メモ帳などに書くのも手である。しかし最初から薄々気づいていたことだが、そんなこと書いてなんになる? まったく記事の内容とは関係ないぞ、と思い消した。私が主張しようと思ったことは、すでにえこさんの記事に書かれている。

しかし今ここまで書きながら、関係ない、程度の理由でどうして消したのか疑問を持った。私は自分のブログのかなり初期のころの記事に、「関係ない、という程度には関係がある」ということを書いていて、今でもそれをおぼえているのは、この考えが保坂和志の丸写しだからである。どこに書いてあったか、出典を示せないがどこかに、
「関係ない、と主張する限りにおいて、そのものとは関係している、本当に関係がなければ、そもそもそんな主張も生まれない」
とあった。関係ない、ではなく関心ない、だったかも。それならば丸写しにならない。どっちにしたって、私が今まで書いてきたことはすべて、すでに保坂和志の著書のどこかで触れられたことである、と言ったって構わない。私がこの先の人生で書くことも、すでに誰かが考えたことに決まっている。しかしそういうのは決して後ろ向きだとか、ネガティヴだとか、夢も希望もないとか、そういうことではない。中身のない、ただの「夢」や「目標」の入れ物のみを手に入れて大満足、自己満足に浸ってりゃいいものを、
「中身を軽くしましょう。そうやってフットワークを良くするのか早道ですよ」
と、あえて周りにまで自分の無能さ、空っぽさを見習うよう促す馬鹿もいるが、それこそ絶望である。

しかし今ここまで書いたところで、誰かが投稿した旨の通知がきた。見ると昌平さんだった。昌平さんが、風呂について書いている。そういえば数日前は、昌平さんが投稿しようとしたタイミングで、私が投稿してしまった。今回は逆である。昌平さんは、私のそのときの記事に「風呂」というワードを見つけ、それなら自分も風呂についての文だから、続けて投稿しても構わないと判断し、そのまま投稿してくださった。「ふくらんでいる」という複数の投稿者を抱えるブログの話である。特にルールはないが、比較的奥ゆかしい人が揃っている。投稿者の中に「Shohei」というアカウント名の方がいるが、読者には昌平さんと区別して読み進めていただきたい。

昌平さんが「弓岡氏の文に「風呂」というワードを見かけたので、私はこの記事を投稿する」ということを冒頭に書いていたが、私はその時点ではもう、風呂について書いたことなど忘れてしまっていた。私はたしか「モロイ」という小説について書いていた。多面体の石の角を同じ頻度で吸っていくためには、どのような手段を講じるべきか、というのを主人公の男が思案するのである。石は普段はコートのポケットに入っているから、角に番号をふるなどの手段はとれない。すると昌平さんが丘の向こうからやってきて、最初丘には二人の男が立っていて、もちろん二人とも遠くでアリンコみたいな大きさだから、「二人の男」と断定してしまう私も私なのだが。また、決して私はアリンコに性別がないと言いたいわけではなかった。そしてひとりが私の方へ向かってやってきて、それが昌平さんだった。昌平さんは最初自転車に乗っていたが、途中でそれをなくしてしまった。あるいは、壊れたので乗り捨てた。丘というか、それは土手だから、土手には道がないのだから、壊れても仕方がないな、と思った。昌平さんは本棚を自作するくらい器用な人なのに、道なき道を自転車で走ろうとするなんて意外だな、と私は思った。私はただ突っ立っているだけだった。私は突っ立っているときには、左右に体を揺する癖があって、もちろん当の私は直立不動の日本男児になりきっているわけだが、あるとき、それは義妹の結婚式だったが、私は突然なんの打ち合わせもなく司会者に名を呼ばれ、なにかお祝いのメッセージを言うように指示されたので、私は困った。困ったと言っても、私は人前で話をするのは慣れていて、場数も結構踏んでいたので冷静にこの場の半分、あるいはそれ以上はここで私がなにかヘマをしても、帰る頃には忘れ、その後の人生になんの影響も与えないということを見抜いていたからへっちゃらであった。私が困ったのは、事前の打ち合わせもなく突然話を振られたから、私が100パーセントのパフォーマンスを発揮できないことに対する不満であった。もし、せめて前日に話を受けていたら、
「あの、部屋にあるスノーボードは、いつになったら持って行ってもらえるんでしょうか?」
と、会場の笑いを誘うことができたのに。私が高砂の横にくる少し前にスライドショーがあって、二人の出会いのシーンで、二人でスノボに来ている、という写真があったから、人々は皆、
「あ、あのスノーボードか」
とイメージが共有でき、私がさもウィットに富んだ人物だと人々は評価しただろう。あまりの出来すぎた話に、スノーボードは架空ではないかと思う人もいるかもしれないが、ボードは現実だった。ナミミの部屋のベッドのヘッドボードと壁の間に挟まって置いてあって、我が家は誰もスノーボードなんかしないから、邪魔で仕方がなかった。義妹は、ナミミも年頃になればボードのひとつもやるかもしれない、だからそのまま置いておいても、決して損ではないという心づもりで置いていったのかもしれないが、私としたらそんなことで恩を着せられてもしようがないから、速やかに撤去してもらいたかった。だから高砂の横で私がマイクを握りながら、にこやかに祝福の言葉を述べながら、私の目が決して笑っていないことを、義弟が見抜くことを私は期待した。目の笑っていない私の体はそんなとき左右に揺れていて、私はあとからそのときの映像を見て自分が揺れていることに気づいた。だから昌平さんから見た私も揺れていた。

「違うんですよ、弓岡さん、モロイは多角形の石の角を順番に吸ったわけではなく、複数の、15か16の小石を順番に口に含む方法を思案したんです。ポケットもコート、ジャケットのが左右それぞれにあって、つまり話はあなたの言うような単純なものではない」
と、昌平さんが言った。