意味をあたえる

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蔵馬と飛影

今朝あじさいさんの記事を読んでいたら、あじさいさんは幽遊白書の飛影が好きらしく、対して私は蔵馬が好きだから、この記事を書こうと思った。「この記事を書こうと」と簡単に言ってのけたが、「この記事」は今まさに書いている最中の私の文字の連なりだから「この」が指す中身は何もない。それなのにあるていで書いてしまう私のふてぶてしさよ。

これから「この記事」にとりかかるが、私のブログをある程度読んでいる方ならご存じだろうが、私は今まで何度か幽遊白書については書いている。同じことの繰り返しになってしまうが、幽遊白書でいちばん面白いのは、コマとコマの間の境界というか、狭い通路のようなところに直筆で書かれた作者のコメントである。私が傑作だと思うのは、1000の顔と技を持つという「美しい魔闘家鈴木」が最初の技を繰り出すと、対戦相手である幻海師範が吹っ飛んだ。それで勝負ありと判断した鈴木は、
「おやおや、もう終わりか? せっかく残り999の技も披露しようと思ったのに」
と幻海に言い放つ。実際幻海は生きていたから、それも可能だった。しかし欄外では、細字のひょろっとした字で、
「無茶いうな」
という作者の突っ込みが入っていて、私は噴き出した。

あと別の話のコマ外では、ちょうど書いているときにソ連のクーデターがあったらしく、その模様がちょこちょこと書かれていて、それも面白い。

あとこれはコマ外ではないが、あるとき主人公の浦飯と、準主人公の桑原が教室で話をしていて、なぜ教室なのかというと彼らは学生だからで、彼らは中学生だった。そこでそのシーンはある大きな戦いのあとなのだが、桑原が出し抜けに、
「そういやお前、あのとき夏服着てなかったか?」
と浦飯に問う。すると浦飯はとつぜん動揺しだし、
「あのときは夏だったけど気温が30度くらいあったから」
と下手な言い訳をする。私はどうして夏服だといけないのか、当時も今もわからないが、それは幽遊白書が硬派な漫画だったからかもしれない。それに対し読者が
「夏服はおかしい」
と指摘し、お詫びの印として、上記のやりとりが生まれたのかもしれない。あるいは指摘したのは編集者か。なんでもないシーンなのだが、私の心には深く刻まれている。

そして蔵馬についてだが、飛影も蔵馬も妖怪なのだが、この二人はセットで行動することが多い。飛影に関してはストレートに「残酷な性格」と話の中で説明されているが(実際は割とやさしい)、蔵馬については「飛影とはまた違った残酷さ」という風に評価されているが、これが当時はなんとなくわかったような気がするが、今はわからない。

飛影はとあるバトルで蔵馬が戦っているのを見て、蔵馬の悪い癖として、どんな相手でも一通り相手の性質を見極めてから、倒しにかかる、という風に評していて、私が好きなのは蔵馬のそういうところなのである。飛影は「悪い癖」というだけあって、対戦相手をいきなり黒焦げにしたりと、問答無用なところがあり、それは見方だったら頼もしいこと限りないが、漫画としては味気ない。

あと全然関係ないが、私の母は桑原が好きで、桑原は、浦飯、桑原、飛影、蔵馬の四人組でいちばん背が高いが、私の父は男にしては背の低いほうで(150センチ台前半)、それならば母はいちばん小さい飛影を選ばなければならないと思うが、そういうところに背の高い男性に対する憧れが出てしまい、私は気まずく思う。